生きるためのフィールドワーク:アフリカ・農学・昆虫学

足達太郎(東京農業大学、応用昆虫学・作物保護学)

わたしとフィールドワーク

大学において昆虫学の研究は農学系の学部や学科でおこなわれるのが通例である。わたしは農学科に入学したあと昆虫学を専攻し、いまはおもに農業と昆虫の関係について研究している。この分野は試験圃場や実験室がおもな研究の場となるが、生産現場でのフィールドワークを志向する研究者もすくなくない。わたしもそのひとりである。

したがって、コロナ禍のあいだはほかのフィールド研究者と同様、活動を休止せざるをえなかった。しかしこの期間は、農学・昆虫学の分野で先人や自分がこれまでにしてきたフィールドワークについて、みつめなおす機会でもあった。ようやく海外でのフィールドワークを再開したいま、それらを書きとめておきたい。

農学・昆虫学分野における海外でのフィールドワーク

20世紀以降の農学・昆虫学分野における日本人研究者の海外フィールドワークの歴史をふりかえると、戦前の1930~40年代には中国東北部や内モンゴル、太平洋諸島、インドネシアなどで農業・畜産資源にかんする調査が実施された。これらはおもに当時の植民地政策の一環で、研究者を各地へ派遣したものである。

戦後、海外での調査は一時中断されたが、1950年代には再開され、当初は大規模編成の学術調査がさかんにおこなわれた。やがて科研費による助成が一般化し、単独ないし比較的少数の研究者による調査が主流となった。これらの調査はおもに研究者が主体的に課題を設定しておこなうものであり、ボトムアップ式の研究といえる。

しかし2000年代以降、科研費の予算総額は漸増しているものの、応募者の増加や「選択と集中」政策によって、海外学術調査の機会は実質的に縮小している。いっぽう科研費では、あらかじめ課題が設定されたトップダウン式の研究もふえつつある。今後こうしたトップダウン化がますます進行し、戦前のような状況に回帰することを危惧している。

ツマジロクサヨトウ

ツマジロクサヨトウはトウモロコシの害虫であり、元来は南北アメリカ大陸とカリブ海諸島にのみ生息していた。近年この害虫がアフリカ大陸に侵入し、その後インド、東南アジア、太平洋諸島など世界じゅうにひろがっている。

トウモロコシに発生したツマジロクサヨトウの幼虫。
おもに葉と茎を食害する。マラウイ中部サリマ郊外の農村にて
2023年2月24日(筆者撮影)

本種のアフリカ侵入については、国際社会でセンセーショナルにとりあげられた。応用昆虫学者は自分が研究対象にした害虫による被害が大きいことを強調しがちである。そのほうが研究のインパクトが高く評価されるからだ。いっぽう、農薬企業や種子企業は害虫の侵入をビジネスチャンスととらえている。こうした企業と研究者が結託して、トップダウン式の調査がさかんにおこなわれている。

トップダウン式の調査をすべて否定するつもりはないが、バランスをとる必要はあるだろう。実際のところ、ツマジロクサヨトウによる被害は人びとの生計にどれほどの影響をおよぼしているのだろうか。わたしたちは、アフリカの農村で耕作をおこなっている人たちから話をきき、これをあきらかにすることをめざしている。

ガーナのフィールドでコロナにかかる

2023年8月に2週間の日程でガーナに渡航した。首都アクラから自動車でまる2日かけて、調査地であるアッパーウエスト州の州都ワに到着した。そしていよいよ調査開始という日の朝、わたしはコロナを発症した。

幹線道路の脇でプランティン(料理バナナ)を売っている。
ガーナ中部テチマン郊外
2023年8月17日(筆者撮影)
巨大なシロアリの巣。ガーナ北西部ワ郊外
2023年8月25日(筆者撮影)

前日の晩から咳がでて、朝おきたら熱もあった。日本から持参した新型コロナの抗体検査キットで検査したところ、陽性とでた。ガーナにおける新型コロナの流行は2021年がピークで、2023年現在は収束したとされている。町中でも農村でもマスクをしている人はほとんどみかけない。日本を出発したのは5日前だったので、感染したのは出発前か、飛行機をのりついだアジスアベバの空港だったのかもしれない。

ホテルの玄関に2年前からはりっぱなしのはり紙。
撮影当時は従業員もふくめてだれもマスクをしていなかった。ガーナ・アクラ
2023年8月14日(筆者撮影)
マスクの着用をよびかける屋外広告。ガーナ・アクラ
2023年8月14日(筆者撮影)

その日から6日間、ホテルの部屋で自己隔離をすることになった。その間の農村調査は同行した大学院生と現地でやとった調査助手にやってもらった。

農家へのインタビュー。ガーナ北西部ワ郊外の農村にて
2023年8月25日(筆者撮影)

フィールドワークの日常化

自己隔離中、はじめの3日間ぐらいは咳がひどく、熱もさがらなかった。日本から持参した咳どめと解熱剤をのんだ。わたしは慢性的な高血圧症のため、携帯型の血圧計をもってきており、降圧剤も服用しなければならなかった。定期的に体温と血圧を測定し、どの薬をいつ服用したか、食事で何をたべたかをノートに記録する。これをさらにパソコンへと入力する。

フィールドノートに書きこんだことをパソコンに入力するのは、多くのフィールドワーカーが実践していることだろう。パソコン上でテキスト化しておくと、過去に記録した事項を検索できるというメリットがある。ただし、その日のうちに入力をおわらせないと、記録がたまって大変なことになる。そのため、フィールドにいるあいだは毎日どうしても夜ふかしすることになる。

こうしたジレンマを克服しようと、わたしは一時期、自己鍛錬のつもりで普段から詳細なフィールドノートをとり、毎日パソコンに入力していたことがある。フィールドワークの日常化ともいえるが、要するに詳細な日記をつけているのとおなじことである。

調査地被害

日常的に詳細な記録をとろうというわたしのこころみは、早々に挫折した。自分の行動をどう記録しようかとつねに意識しているので、自宅でもくつろげない。家族にとっても家のなかに記録魔みたいな人がいるのは鬱陶しいことこのうえない。

だが、かんがえてみれば、調査の現場で研究者はそのようなことをしているのである。調査される側にとってフィールドワーカーとは、たのまれもしないのに、いきなり家にやってきて、ぶしつけな質問をくりかえす迷惑な人たちである。

たとえインフォーマントが調査の意義を理解してくれたとしても、えられる恩恵には圧倒的な差がある。調査する側は研究業績によって社会的・経済的な利益をえるいっぽうで、調査される側はほとんど何の対価もえられない。フィールドワークと称して人びとの平穏な日常を侵害する行為――これを調査地被害という。

研究者は言葉こそ丁寧でも、見くだした態度が端々にみられ、その心のうちは多くの研究者をみてきたインフォーマントに簡単に見すかされている。25年ほど前、アフリカでわたしにフィールドワークの手ほどきをしてくれた文化人類学者の安渓遊地さんによると、西表島で出あった地元の人が、「(博士ではなく)バカセなら何人でもくるぞといっていたという(註)。

略奪と搾取の500年

大航海時代以降、珍奇な植物を根こそぎ採集していく植物学者、圧倒的な武力を背景に文化財を強奪し自国の博物館に収蔵する考古学者、計測のためと称して先祖の墓をあばき人骨をもちかえる人類学者などが、世界各地に出没した。近代科学の歴史をふりかえると、現在の学問はまさにこうした略奪と搾取を基盤になりたっているといえる。

2014年に発効した名古屋議定書は、このような500年にもわたる調査する側とされる側の学問上の不公正を是正するためのとりきめである。遺伝資源やその利用にかかわる伝統的知識を調査国からもちだす場合、事前同意(PIC)と相互合意条件(MAT)を現地の関係者とのあいだでとりかわすことがもとめられている。

これらはおもに、遺伝資源から経済的な利益をえようとする場合に必要な規定である。それに該当しない研究者に対しては今後、研究成果としての論文や著書などを現地の研究者と共著で出版することをよびかけたい。現地研究者の業績がふえればその国の研究レベルの向上につながる。あなたの研究分野にとってもきっとよいことがあるだろう。

よりよく生きるためのフィールドワーク

二足歩行をはじめた人類が森林から草原へと進出した際、かれらは生きるために、あらたな環境における生態系の理解につとめたことだろう。現在の狩猟採集民の日常生活もまた、生態系の観察と理解のうえになりたっている。かれらの生業(せいぎょう)はまさしく日常にあるフィールドワークそのものである。

いっぽう学問を生業(なりわい)とする研究者にとって、フィールドワークには生きるための「食い扶持」としての側面があることは否定できない。だが、食い扶持を確保しただけで満足しているフィールド研究者はあまりいないだろうという実感もある。

フィールドワークの本質は知識への渇望である。よりよく知るために、よりよく生きるために、研究者はフィールドをめざす。たとえコロナのような100年に一度のパンデミックを経験したとしても、その本質がかわることはないだろう。


宮本常一・安渓遊地(2008)『調査されるという迷惑―フィールドに出る前に読んでおく本』みずのわ出版。

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