Archaeologistics: オマーンにおける考古学調査のロジスティクスとコロナ禍

近藤康久(総合地球環境学研究所、アラビアの公庫地理学・科学と社会の関係)

私は、2007年より毎年、年末年始の時季に、アラビア半島のオマーンで、考古学の調査をしてきました。2013年archaeologistics以降は、日本からの調査団の団長(director)を務めています。

2017年からは、ハジャル山脈南麓のタヌーフというところで遺跡調査をしています。タヌーフにはグランド・キャニオン(大峡谷)がありまして、峡谷の崖面に洞穴遺跡を見つけました。洞穴の入り口を発掘すると、今からおよそ4000年前の壺などの遺物が見つかり、出土した炭化物の放射性炭素年代測定からも、この時期に洞穴が利用されたことが裏付けられました。

ところが、さらに調査を進めようというところで、コロナ禍に見舞われてしまいました。2020年末からの2シーズン連続で、現地への渡航を見送りました。

調査団長の仕事はロジスティクス

考古学の海外調査では、ロジスティクスが非常に重要です。考古学(archaeology)のロジスティクス(logistics)なので、アーケオロジスティクス(archaeologistics)。この造語を、話題提供のタイトルに選びました。

ロジスティクスはもともと兵站を意味する軍事用語です。ビジネス用語としては物流システムを指しますが、会議の運営や出張の交通・宿泊手配など、表舞台に立って仕事をする人(プレーヤー)を後方で支援する業務全般を指して使われることもあります。後方支援という文脈では、しばしば「ロジ
と略されます。

図1に調査団長の仕事をまとめました。調査団長の仕事は、現地当局と交渉して調査許可を取得することから始まって、航空券やビザ、宿舎、レンタカーや運転手、現地作業員、機材、調査で採取した試料(サンプル)の持ち出し許可などを、すべて滞りなく手配して、調査の進行を管理・監督するのが主な仕事です。その際、利害関係者、とくに監督官庁や現地の有力者と良好な関係を築くことが非常に重要です。オマーンの伝統的なビジネス習慣では、商談の前には、まずは主人からカフワ(アラビックコーヒー)が振舞われ、一緒に飲んでおしゃべり。そういうコミュニケーションを積み重ねて信頼関係を構築すると、いつしかこちらの望むように仕事が進むようになります。

考古学の海外調査団長の仕事(一例)

もう一つ忘れていけないのが、現場の総指揮と安全管理です。発掘調査や踏査の現場の指揮は担当者に任せますが、安全管理だけは団長である私もクロスチェックするようにします。現場では、まるでモグラたたきゲームのごとく、毎日のように何がしかのトラブルが発生します。日本ではともかく、オマーンにいる間は、めくるめくトラブルにいちいち対処するのを苦には感じませんので、この仕事に向いていると思います。

昨年の12月末、3年ぶりにオマーンに行きました。それは、ロジスティクスの苦労とやりがいを、初心に返って体験し直す機会となりました。

このとき日本から、新しい測量機材をいくつか持っていきました。事前に、当局の指示に従って、通関に必要な書類を作成して送ったのですが、マスカット国際空港の税関で、電子システムに関税支払いの記録がないという理由で、機材だけ税関に留め置きとなってしまいました。結局、自身は先に入境して当局に関税を納めてから引き取ることになりました。遺産観光省と提携する通関エージェント(写真1)が助けてくれました。考古学の海外調査においては、調査に入るまでの間にも、こういう小さなトラブルがしょっちゅう起こります。

通関エージェントと記念写真

現場に向かう

調査許可は事前に申請して、すでに許可が下りているので、到着の翌日に主務官庁である遺産観光省に赴いて、担当課長さんと調査許可の合意書を取り交わします。そのときにカフワを飲みながら懇談をして、困り事を相談し、頼れる人につないでもらったりします。そうしてやっと、現地へ向かいます。

調査の拠点となるニズワの町までは、マスカットから自動車でハイウェイを2時間も走れば着きます。しかし、遺跡調査を始めるには、まだ数日の準備が必要です。発掘調査の機材は、遺産観光省の地方事務所に預けてあります。機材を取り出して、整理して、使えるようにします。

次に、足りない資材を買い出しに出かけます。ニズワはオマーンの古都で、公共市場(スーク)が整備されており、国内外から多くの観光客が訪れます。観光市場の雑貨店は、店頭に土産物の工芸品を並べているのですが、店員さんにたずねると、ちゃんと土嚢袋とか、昔ながらの農具を、どこからともなく持ってきて売ってくれます。ときには町はずれの工場地区へ行って、出稼ぎの工員さんに、鉄筋を削って杭を作ってもらったり、コテを研いだりしてもらったりします。

無いものは創るという発想も大事です。たとえば、発掘で排出される土砂の中から微細な遺物を回収するためのふるいを、コロナ禍直前のシーズンに、ショッピングセンターでスチールパイプ製の物干し台を買ってきて、町工場地区の窓枠屋さんでアルミニウム製の枠を作ってもらい、それにメッシュを張って、物干し台に取り付けてもらいました。ところが、それを現場で使うと、強度が不十分で、数日のうちに壊れてしまいました。コロナ明けのシーズンには、日本から子ども用の簡易ブランコを持っていって、ブランコの真ん中にくだんの枠を取り付けるという改良を施しました(写真2)。この改良はうまく行きました。その場で使えるものを組み合わせてソリューションを創る、ブリコラージュ(器用仕事)の醍醐味です。

ブランコにメッシュ枠を取り付けた、自作の乾式ふるい機

機材の準備と並行して、地元の有力者を介して現場の作業員を手配します。オマーンのほか、アラブ首長国連邦やカタール、バハレーンといった湾岸諸国では、建設作業員のような肉体労働は、南アジアのインド南部やバングラデシュ、パキスタンからの出稼ぎ労働者が主に担っています。日本でいう3K、つまり「きつい、汚い、危険な」仕事は、オマーン人も敬遠します。

それでもあえて、私は現地オマーンの若者と一緒に調査をするのを大事にしています。オマーンでは、私たちは外国人です。考古遺物を国外に持ち出すことは、法律で厳しく制限されているので、モノを収奪しないという意識は徹底しています。しかし、ヘリコプターサイエンスと揶揄されるように、外国人の研究者がある時突然やってきて、なにか調査をしてなにかを見つけ、現地の人々には説明もしないままに去っていき、現地には何も残らないという「知識の収奪」を、してしまっているかもしれません。

遺跡は、その土地の歴史を記録した文化遺産です。外国人である私たちが離れても、地元で文化遺産を未来に継承していけるように、地元にどんな文化遺産があるのかということを、地元の人たち、特に次世代を担う若者たちと一緒に学ぶことを意識して、一緒に仕事をしてもらっています。現地の賃金水準は円安の影響で日本よりも高くなり、研究所の経理部門から単価設定の妥当性についての理由書を求められることになりましたが、そのような面倒に時間を費やしてでも、仕事にふさわしい水準の賃金を支払っています。

洞穴遺跡への登山口にて、現地作業員の点呼と荷造り

写真3は、調査初日の朝7時半に、作業員に応募して来てくれた若者たちの点呼を取ってから、自動車から調査機材を下ろして、斜面の上の洞穴遺跡まで荷揚げする準備をしているところです。こうしていよいよ、遺跡調査が始まります。

海外調査はフライトに似たり

海外の学術調査、特に考古学は、飛行機のフライトに似ています。飛行機は、滑走して離陸し、水平飛行に移って、また降下して、着陸します。真ん中の水平飛行は、目的までの距離に応じて距離も時間も伸び縮みしますが、離陸と着陸にかかる時間は、長距離便も短距離便も同じです。海外の学術調査も同様に、調査の期間は伸び縮みしますけれども、調査開始前の準備と調査開始後の撤収にかかる時間は一定です。調査の期間が長かろうが短かろうが、終わってみれば毎回あっという間のことに感じます。

今年も現地調査はあっという間に終わってしまい、宿舎で遺物や図面、サンプル、データを大急ぎで整理した後、地方事務所に現地に置いていく資材を預けて、首都のマスカットに戻ります。遺産観光省で成果を報告して、オマーンを離れます。帰国後も、データ整理の続きや報告書の取りまとめなどの研究作業が待っています。

コロナ禍で変わったこと

オマーンでもコロナ対策として、厳しい入国制限と国内の移動制限が行われました。しかし、2年のブランクを経て、私たちがオマーンに戻った時には、街を行く人びとはもう誰もマスクをしていませんでした。それでも、いざ感染したらどうするか、最寄りの病院はどこで、薬はどこで買えるかということを、以前に増して詳しく調べておいたり、感染時に隔離できるように、ホテルの部屋を個室にしたりという配慮をするようになりました。ロジスティクスの基本はコロナの前も後も変わらないのですけれども、感染症対策には今まで以上に注意をするようになりました。

ところで、現地調査の実施を見送った2シーズンの間に、コロナ禍とは関係なく、監督官庁であった遺産文化省がスポーツ・文化省を分離した上で観光省と合併し、遺産観光省になりました。この省庁再編によって、大臣から幹部クラスの次官・局長・課長、たとえば、中堅クラスの課長補佐級や係長、そして現場の若手職員に至るまで、顔ぶれが大幅に入れ替わりました。

こういう変化のあるときに一番大事なのは、現地の人たちとの関係で、旧知の職員さんや地元の人たちが助けてくれました。現地の人たちとの信頼関係、文化人類学でいうところのラポールは、考古学でも重要です。外国の遺跡調査というのは、地元の人から見れば、自分たちの愛着ある土地に外国人が勝手にやってきて調査するわけですから、外国人である私たち研究者は、ここにきて何をやっているのかを現地の人たちと共有することを通じて、長期的な関係を構築していくことの大切さを、ポスト・コロナの今、とても強く意識しています。

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