コロナ禍を経てアンデス先住民言語の調査を続ける
私自身がどのようなフィールド調査をしているか
まず私自身の研究について説明するところから始めよう。南アメリカのアンデス高地の南の方、ボリビアの行政上の首都のラパスから出かけていく農村や、ペルーのクスコの周辺の農村に通い続けている。それぞれの地域で、アイマラ語(aymara)やケチュア語(quechua)といった先住民の言語を話す家族を訪問し続け、もう20年以上になる。ボリビアの方では、アンデス・オーラルヒストリー工房(Taller de Historia Oral Andina, THOA)という先住民知識人団体と協力しながら取り組みを展開している。THOAは、20世紀初頭の土地をめぐるアイマラ先住民運動である「カシーケス・アポデラードスの運動」のアイマラ語のオーラルヒストリーに取り組んだことで知られており、私が通い続けているボリビアの家族はその指導者の子孫なので、人間関係が様々なところで繋がっていることになる。私は先住民社会のこと全般に関心があるが、特に口頭で語られる語り、つまり口承文芸やオーラルヒストリーの調査をしている。分野としては、ラテンアメリカの特にアンデス地域の地域研究、あるいはアンデス人類学や言語人類学という分野に位置づけられることになるだろう。
アンデス高地には、私がこれまで学んできたアイマラ語(aymara)やケチュア語(quechua)(現在ではそれぞれを複数形で呼称することが通例となっている)のような、全体としてはそれぞれ200万人や800万人ほどの話者がいる言語がある。その一方で、少数派の先住民言語として、ペルーのリマ県のアンデス高地にはアイマラ語と同系統のハカル語(jaqaru)があり、ボリビアのチチカカ湖とつながる川と湖の水系沿いにはウル系の民族が点在し、ウル・チパヤ語(uru chipaya)やウチュマタク語(uchumataqu)が話されている。特にウチュマタク語は、チチカカ湖付近のイルイト村で話されており、年配の流暢であった話者を失った後に村として言語復興に取り組んでいる。ハカル語やウチュマタク語については、その言語復興に取り組む人たちと知り合いであり、その動向に注目している。
この発表では、アンデスとの関わりを中心に話すことになるが、口頭の語りへの関心という意味では、アイヌ語についての研究や調査も行っており、北海道の幌別や沙流や十勝を中心としたアイヌ語の記録の回復と公刊に協力してきている。また、アイヌ語を日常会話にとり戻そうという動きにも、共鳴して加わっている。上述したアンデスの先住民言語の言語復興に注目するようになったのは、アイヌ語の取り組みに関わるようになったことが大きい。
コロナ禍による打撃
さて、このような研究をしてきていると、コロナ禍で大変に困ることとなった。2019年に行ってから、2020年と2021年の2年間は丸々フィールドに行くことができず、2022年の夏にようやく、しかもまだいろいろと制約の多い中で戻ったので、3年間の空白があったことになる。通い始めてから必ず毎年行っていたので、このような事態は初めてのことであった。
聞き取り調査というのは、人々の日常生活に入り込んでいきながら、そのリズムに調査者である自分も合わせていく中で、少しずつ、本当に少しずつ進んでいくものである。農作業や家畜の世話や料理の手伝いをしながら、合間合間に世間話をしながら、すきまの時間に語って録音させてもらう。遠隔で人々の生活のすき間に入り込むことはできない、少なくとも私の調査の場合には。また、語られる記憶というものは、貯蔵されているイメージで捉えると、その時覚えていることを聞けばそれで済んでしまうが、その時その時で何が想起されるのかが変わってくる動態の過程だと捉えれば、時間をかけて足を運び、その変化を追うことが大事になってくる。ある人がその時に何を語るかは場と状況に左右される、ということはインタビューでよく言われることで、一緒にその場に居合わせることが重要になってくる。これらの事柄は、遠隔のテレビ会議とは非常に相性が悪い。
特にお年寄りがいるような場合には、私が感染源となることは避けたいと思うから、移動の制限が徐々に緩和されていった時期であっても、足を運ぶことに慎重になる。北海道に行く場合にも、直前に状況が変わって引き返したことがある。そして、ペルーとボリビアでは、本当に多くの人が亡くなった。全体の数としてだけではない。私自身の知り合いがこの間に何人も亡くなっており、その中には重要な時期を一緒に過ごしてきたような近しい人たちが、私が影響を受けてきたような人たちが何人もいた。ロックダウンが実施される中で、私が協働してきたボリビアの先住民団体THOAも長い期間実質上の活動停滞に追い込まれた。後から思い返してみると、コロナ禍の最中にその時その時は一生懸命に何かをやっていたわけだが、一種の「記憶喪失」状態になっていて、自分がいつ何をしていたのかがはっきりと思い起こせないことも多い。THOAではある時期からは、メンバーやそれ以外のアイマラの重要な人物たちの追悼イベントを何度も繰り返し行ってきた。そして2022年になって戻ってみると、それらの人々がポッカリいなくなっていて、そのことにいまだに実感が湧かない。それはこの間アンデスに渡れなかった私だけのことではなく、そもそも集まるということをできていなかった中で、皆が共有している感覚のようなのだ。
コロナ禍のなかでの新しい動き
さてそのような負の影響のさなかに、新しい動きもあった。口承文芸やオーラルヒストリーの調査においては、テクストを産出していくことで自分自身や他の研究者の研究基盤を整えていくという作業が必要になる。アイマラ語は、いわゆる「危機言語」の中では文法記述が十分になされた言語であるという位置づけを与えられることが多いようだが、まだまだ十分とは言えないところもあり、作業の随所で立ち止まって確認をし直す必要があり、どこを見ても記述されていない新しい形式が見つかったこともある。語られる言葉の特徴についても、聞き起こしの検討作業を通じて議論をしている際に、新たな発見や知見がもたらされることも多い。また、スペイン語への訳をする際に、できるだけアイマラ語とバイリンガルのスペイン語話者が使うスペイン語に近い形式を使おうとすると、翻訳についても丁寧に確認していかなければならない。これは、私は外注をするのではなく、自分自身がアイマラ語話者の人と一緒に音声を聞きながら、議論をしつつ進めていっている。
この聞き起こしと意味の確認の作業については、アイヌ語の場合でも、アンデス先住民言語の場合でも、それまでは対面で集まってやっていた。だが、コロナ禍で、オンラインで進めていく方が着実な進展が生み出せることが明らかになっていった。これは、オンラインで集まることに全ての人々が慣れていったという側面も大きいが、オンラインでもZoomを通して比較的明瞭に音声が共有できることが分かったという面も大きい。このような経験を通じて、自分がフィールドにいない時期においても、自分の録音した音声記録の聞き起こしのアイマラ語話者との確認が継続的に進められるようになったのは、大きな変化であった。アイヌ語についても、それまでは対面で月に2回くらい集まっていたのが、オンラインでより頻繁に集まることができるようになった。
ボリビアでもオンライン会議をすることに人々が慣れていくにしたがって、私自身が大学を通じたZoomの機関ライセンスを持っていることを利用して(個人ライセンスだと利用時間に制限がかかる)、THOAの定例の打ち合わせもZoomで行っていくようになった(現在では対面に戻っている)。この期間には、THOAのFacebookのページも再始動し、私は「中の人」としてしばらくのあいだ運営に協力していた。セミナーの開催においても、Zoomを通じてFacebook LiveでTHOAのページから配信をする形ができあがり、複数の場にいる人をオンラインで集め、かつボリビアに自分がいない時期においても活動に協力ができるようになった。これはもちろん、自分自身の予定の調整が色々と複雑になるという状況を生み出すのだが、可能な協力の幅は確実に広がったと言えるだろう。
また、コロナ禍において、先住民言語によるSNS発信が加速した。もちろん、それまでもインターネット上での様々な配信は行われ、デジタルアーカイブの構築や、ラジオ放送などのインターネット配信が取り組まれてきた経緯がある(アイマラ語では、例えばボリビア・エルアルト市のRadio San Gabrielによるラジオ放送や、Global Voices Aymaraによるアイマラ語ジャーナリズムが挙げられよう)。テレビ番組がYouTube上に蓄積されていくようになり(TV Perúによるニュース番組Ñuqanchik(ケチュア語)およびJiwasanaka(アイマラ語))、Facebook上でもケチュア語やアイマラ語の様々なグループが結成され、また個人での動画配信も行われるようになってきた。この最後の動画配信については、より話者の少ないウル系の言語についても定期的に行われている。また、THOAでも配信イベントにおいて、複数のメンバーが積極的にアイマラ語を使うようになっていった。このような動きを通じて、デジタルな公共空間上での先住民言語の使用が加速し、記録されていくようになった。そのような面からの調査の可能性も生まれてきたと言えよう。
私が関わっているような活動は、「先住民の対抗公共空間の形成(forging an indigenous counter public sphere)」と形容されたり(これはMarcia Stephensonによる)、ウルグアイの批評家アンヘル・ラマ(Angel Rama)の有名な「読み書きと教養の都市(ciudad letrada / lettered city)」という概念の提案を受けて、「先住民の読み書きと教養の都市(indigenous lettered city)」とも形容されるものである(これはJoanne RappaportとTom Cumminsによる)。2022年から現地でのフィールド調査や、対面の国際学会が復活してきている。オンラインで代替できないものは代替できない。しかし、コロナ禍のあいだに生まれた新たなオンライン実践が組み込まれるようなかたちで、フィールドワークやフィールドワークを通じて協力する様々な活動にも、新たな展開がみられるであろうか。その新しい研究や調査の可能性に、私は期待したいと思う。