パンデミック下のベルギー・フランス語圏での生活

2021年3月 3日

大津谷 馨(リエージュ大学哲学文学研究科博士課程、中東中世史)

はじめに
まず筆者のプロフィールと留学先について簡単に述べておく。筆者は2019年秋から、ベルギーのフランス語圏にあるリエージュ大学の博士課程に在籍している。専門は中東中世史研究である。

ベルギーといえば、チョコレートやワッフルを思い浮かべる方が多いのではないだろうか。美食の国ベルギーには、フランス語・フラマン語・ドイツ語という3つの公用語があり、筆者が留学しているリエージュはフランス語圏の中心的な都市の一つである。人口20万ほどのこの街は人が親切で、道を教えてもらったり、重いスーツケースを運んでいたところ声をかけてもらったりといった経験は数えきれない。

写真1. モンターニュ・ド・ビュランからリエージュ市街を望む
(2015年6月24日筆者撮影)

ベルギーは日本の九州より少し小さいぐらいの面積の国だが、2021年2月までに人口1149万のうち2万人を超える人がパンデミックで犠牲になった。この記事では、昨年の感染拡大初期から現在までの状況を概観する。

パンデミックの始まりと差別の嵐
これは大事になるかもしれないと初めて思ったのは、2020年2月上旬。フランスやベルギーのメディアで、横浜のダイヤモンド・プリンセス号に関する報道を毎日のように見かけるようになった。当時のベルギーでは最初の感染症例が確認されたばかりで、「我々は関係ない」という雰囲気だった。

しかし2月末にイタリアで感染拡大が始まると、東アジア系の外見をした人への差別が深刻化した。道端ですれ違う人が鼻をつまむ、マフラーで口を覆う、若者の集団が咳のまねをして「コロナ」とはやし立てる、睨みつけられ唾を吐かれる、スーパーで指をさされて噂されるなど数々の差別に遭った。このころは、自分が感染するかもしれないという不安よりも差別感情を持った人に何をされるか分からないという恐怖の方が勝っていた。

事態の急転
3月に入るとベルギーの日本大使館から新規症例数について毎日連絡が届くようになった。しかし人々の危機感はあまりなく、フランス語の授業では先生が「我々の医療水準は世界でも最高レベルだから心配無用」と豪語していた。一方、日本の一斉休校を知った友人の中には、ベルギーも早く厳しい対策を取るべきという意見の人もいた。

3月10日頃になると授業の欠席者が増え、ベルギーでも大学を閉めてオンライン講義に移行すべきだという話が出始めた。13日に大学は急遽完全休講となり、翌週から完全にオンラインに移行することとなった。慌てて大学のオフィスから本や荷物を引き上げ、必需品を買い込み、「今度会うのは夏のバカンスの後かもね」と冗談交じりに友人たちと別れた。晴天の暖かな春の日で街には普通に人がいて、明日から状況が一変するとは信じがたかった。

3月16日ベルギー全国の学校の閉鎖が始まり、翌17日正午からEU域外からの入国制限を開始するという決定が発表された。そして18日からロックダウンが始まった。

事態の急変に伴って留学生は一斉に帰国してしまった。またベルギーの学生たちも帰省してしまい、生活音も聞こえず、夜も真っ暗で心細かった。20時に医療関係者への拍手が聞こえると、近所にも人がいることを確認できて励まされた。幸いなことにスーパーで入場規制が行われることはなく、パスタや米、トイレットペーパーなどの必需品がスーパーの棚から姿を消すこともなかった。

ロックダウン下では、運動や買い出しなどを除き外出が制限され、テレワークが義務化された。また食料品店や薬局などを除く店舗は閉店となった。大学も閉鎖されて特別な許可を得た場合しか入れなくなった。ただし図書館に所蔵されている文献や論文をスキャンして送ってくれるサービスには大いに助けられた。フランス語の授業はメールでの資料送付と宿題の添削に移行し、指導教官ともオンラインでやり取りした。

ロックダウン中は毎日家で研究を続け、週に1度だけ買い物と洗濯のために外出するという生活を送っており、生身の人と触れ合えるのはスーパーのレジで挨拶するときのみだった。コミュニケーション不足を補うため、オンラインでベルギーを含むヨーロッパ各国にいる友達と連絡を取り、励まし合った。

この時期に盛んに呼びかけられていたのは「家にいてください(Restez chez vous)」という言葉である。暖かい平日の真昼間でも街には全く人通りがなかった。

状況の改善
厳しいロックダウンによって徐々に状況は改善した。5月から徐々に規制の解除が始まり、6月8日、ついに飲食店の営業が再開された。6月半ばには、3か月ぶりに友人たちに再会することができた。ただし留学生の友人の大半はすでに帰国しており、ベルギーにいる友達も実家に帰省中でなかなか会うことはできなかった。また大学は依然として自由に立ち入りできなかったため生活が大きく変わることはなく、毎日家で一人研究を続けていた。

写真2. リエージュの聖ポール大聖堂前の広場
手をつなぐ人々と、「ありがとう(Merci)」という言葉が花壇に描かれている
(2020年6月12日筆者撮影)

この時期になるとマスクの効果がようやく認知され始め、5月半ばにはスーパーや公共の場での着用が強く推奨されるようになった。しかし5月後半の段階では屋外でマスクをしている人は1~2割ほどで、筆者がマスクをして歩いていたところ笑われたこともあった。この後マスクをつける人は徐々に増え、8月ごろになると外の通りでも8割以上はマスク姿で、マスクの価格も高騰した。

夏休みを迎えると、ベルギーでも海岸部のビーチの混雑が報じられるようになった。また感染リスクの高い地域からの入国に際しては検査や自己隔離が義務づけられていたものの、日本のように空港で厳しい取り締まりがあるわけでもなく規則を守らない人が続出しているという報道もあった。

新学期
ベルギーでは9月から徐々に感染症例が増えていたが、リエージュでは9月中旬に大学が開いた。構内では、通行方向を示す矢印が廊下に貼られ、カフェテリアでも距離を取るためにレジに至る通路に待機位置を示すシールが貼られていた。

大学に自由に入れるようになったこの時期、いつ二度目のロックダウンになるか分からないという思いがあったため、必要な資料を借りてデータを取るという作業を続けていた。貸出について特例を認め便宜を図ってくださった職員のみなさんには感謝しきれない。

9月末からは、大学での大規模検査が始まった。これは、教職員・学生のうち希望者が匿名かつ無料で週1回受けられるというものである。方法は簡単で、朝食前にプラスチックの管に唾液を入れ、大学で検体を提出し、2日後に専用のウェブサイトで結果を見られるというものだった。

写真3. 大学で配布された検査キット
(2020年10月7日筆者撮影)

大学に行ってみると、人によってパンデミックとのつきあい方が大きく異なることが感じられた。友人たちの間でも意見は分かれており、「なぜリスクの低い若者の行動がこんなに制限されるのか」と文句を言う人もいれば、「自分が罹りたくもないし人に移したくもないから必ずマスクを着用し、決まりを守っていない人には注意する」という人もいた。

二度目のロックダウン
10月になると気温が下がり、感染症例が急増し、10月15日から開催予定だったリエージュの秋のフェアも直前になって中止という事態に陥った。この伝統あるフェアは移動遊園地や食べ物の屋台が出る秋祭りのようなもので、住民にとってクリスマスマーケットよりも大事な存在なのにと友人が嘆いていた。

10月19日からテイクアウトを除き飲食店は閉店され、テレワークが原則となり、0時から5時の夜間外出禁止が始まった。また同居人以外で社会的距離を取らずにマスクなしで15分以上の「近づいた接触」ができる人数が一人に制限され、外での私的な集まりの人数も四人に制限された。24日にはフランス語圏で夜間外出禁止が22時から朝6時までに拡大された。検査能力が不足したため大学での大規模検査は中止され、大学の授業も再開から1か月ほどで再び完全オンラインに移行することとなった。11月2日にはさらに制限が強化され、食料品店や薬局、本屋、園芸店・手芸店・工具店などを除く店舗が閉店された。これがいわゆる二度目のロックダウンの始まりである。日照時間が少なく天気も悪くただでさえ暗いベルギーの冬に二回目のロックダウンは精神的な負担が大きく、友人たちと「もううんざりだ」と愚痴を言い合った。

その後、筆者は事情があって一時帰国した。自宅で一人の研究生活も大丈夫なほうだと思っていたが、一時帰国してみて、ロックダウン下での生活が自分の心身にとっていかに大きな負担であったか実感することになった。

幸いなことに徐々に状況は好転し、12月1日には飲食店や美容室などを除く商店の営業再開が許可された。しかし各家庭原則一人しか自宅に人を招待できないという厳しい決まりはクリスマスや新年の休暇の間も緩和されず、友人から嘆きのメッセージが届いた。

規制の継続とワクチン接種の開始
ベルギーでは2021年2月現在に至るまで、テレワークの義務や夜間外出禁止、「近づいた接触」のできる人数や私的な集まりの人数の制限などの規制が継続されている。また1月27日からは必要不可欠なものを除く国外渡航が禁止されている。2月13日から美容室が営業再開されたが、レストランやカフェはテイクアウトを除き10月から閉まったままである。長く続く規制で人々は疲弊し、我慢も限界に近づいており、上述の規則も必ずしも守られていない。

規制下にはあるが状況は比較的落ち着いており、街にはそれなりの人出がある。暖かくなってきた最近は、友人や家族とショッピングや散歩をする人、テイクアウトした食事を屋外で楽しむ人も多い。また新しい移動手段として電動キックボードを使う人も増えている。

写真4. ムーズ川にかかる橋を行きかう人々
対岸のボヴリ公園は座って会話を楽しむ人々で賑わっていた
(2021年2月20日筆者撮影)

大学では2月から後期の授業が始まったものの実験系以外は原則オンラインで、筆者は相変わらず自宅での研究生活を続けている。ただし2月8日から大学に自由に立ち入りできるようになり、必要なときに図書館を利用しやすいのはありがたい。

また大学では学生の支援活動も行われている。例えば、毎週木曜に、野菜や果物、パスタやパン、卵やチョコレートなどの入ったパッケージが400セット配布されており、6月までの支援継続が決定したと連絡が届いた。また4月には、フランス語圏の大学で歴史学を専攻する博士課程の学生のトレーニングの一環として、パンデミックに伴う経済的・社会的・文化的変動が研究に与えた影響に焦点を当てて研究発表を行うイベントが開かれる予定になっている。

先の見えない状況だが、希望を持てるニュースもある。ベルギーでは2020年12月末からワクチン接種が始まり、2021年2月24日現在、42万人以上が一回目の接種を受けたと発表されている。一刻も早くワクチン接種の効果があらわれ、パンデミックが収束に向かうことを願ってやまない。

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