コロナ危機から見るアメリカ―大学教育現場からの報告

2021年1月 6日

関本 幸(ミネソタ州立大学マンケート校、コミュニケーション学)

はじめに
この文章を書いているのは2020年11月上旬、米国大統領選挙がやっと終わったところである。バイデン元副大統領が勝利する見込みだが、まだ結果は出ていない。アメリカでは今年3月頃から本格的に新型コロナウイルスの感染拡大が始まったが、これまでの経過を私個人の視点と経験に基づいて振り返ってみたい。目まぐるしく変化する日々の中で、これまでと現時点の状況を報告したいと思う。私は2010年から、ミネソタ州マンケートという人口約4万人の街に住んでいる。私は今年1月から臨時で学部をまとめる役(Department Chair)を務めることになり、その通常業務を覚える暇もないまま、コロナ危機の対策に追われることとなった。このエッセイでは私の大学のキャンパス閉鎖から再開に至るまでの過程や、教育現場にもたらされた変化などに触れたい。また、リモートワークによってもたらされたワーク・ライフバランスの崩壊や、子育てへの影響等にも触れたいと思う。コロナ危機と同時に起こっている、人種差別反対運動Black Lives Matterについて、そしてコロナ危機が映し出すアメリカ社会の構造的な歪みと展望についても考えてみたい。

アメリカの今
もしも「社会」が一つの身体だったとしたら、今アメリカ社会は何を感じているだろうか?そういう質問を学生に投げかけると、彼らは少し戸惑いながら「恐怖」、「不安」、「混乱」もしくは「感覚麻痺」というような返答をする。政治や社会の混乱を日々追っていると、社会全体の様々な感覚経験が正しく解釈されず、感覚とその意味とのつながりが崩壊しているように思える。それは、痛みを感じているのにそれを痛みとして正しく理解できない、そんな感覚機能の崩壊のように思えてならない。トランプ政権が発足した2017年から、都合の悪い話はすべてフェイクニュースとし、分断政治に徹する大統領を筆頭に、アメリカ社会は混乱の一途をたどった。コロナ危機はそんな不信感に満ちた社会にやってきて、山火事のように確実に広がっていった。11月現在、私の住んでいる中西部はまさにコロナウイルス感染のホットスポットになっている。急激に増えていく感染者の数を見て日々不安に駆られている。現時点でアメリカ国内の新型コロナウイルスによる死者は累計で23万人を超え、感染者は940万人を超えた。世界人口の4パーセントのアメリカ人が、世界全体の死者の実に20パーセントを占めている。アメリカに過去20年住んでいる私も、コロナ危機、警察による暴力とそれに対する抗議運動、そして大統領選挙という波乱に満ちた日々を信じられない気持ちで過ごしている。まるで毎日悪夢を見ているような、明日はどんな危機がやって来るのか分からない、落ち着かない日々が続いている。

写真1 大学のキャンパスは3月末に一度閉鎖され、
8月に再開された後もまだ活気は戻っていない。
多くの学生が自宅からZoomで授業を受ける選択をした。
(2020年10月13日関本幸撮影)

コロナ危機と大学
新型コロナウイルスによって引き起こされたパンデミックは、大学のあり方を根底から変えた。3月半ば、大学の一週間の春休みが始まった時点では、まだ状況がどうなるのかわからない状態だったが、その週が終わる頃にはキャンパスの閉鎖が発表され、すべての授業がオンラインに移行されることとなった。講義内容をすべてオンラインに移す準備のために、春休みが一週間延長され、その後もう一週間延長された。私の所属するコミュニケーション学部では普段からオンライン授業をしていたため、それほどの影響はなかったものの、3000以上あるクラスをすべて一度にオンラインに移行するという前代未聞の試みは、様々な混乱を引き起こした。すべての教材をデジタル化する作業は相当な労働を要するし、寮から出たりアパートを引き払ったりして実家に戻った学生たちのデジタル環境の保証から、コンピューターの貸し出し、教科書のデジタル化、レクチャービデオの作成方法、キャプションの付け方など、教育のシステムを短期間に作り変える作業を要求された。そんな中でキャンパスに来られなくなった学生たちとどうやって繋がりを持ち続けるのか、経済的に不利な立場の学生をどうサポートするのか、キャンパスに取り残され、学内でのアルバイトの機会を失った留学生たちの境遇など、様々な問題が山積みになった。技術的支援、経済的援助、オンラインでの学生とのミーティング、大学長や副大学長によるタウンホール形式の質疑応答、などなど、私も夏休み返上で通常授業再開に向けて毎日働き続けた。自分の研究や執筆などは中断された。

一つの場所に集まって、顔を合わせて空間と時間を共有しながら「学び」が起こるという前提が取り壊され、それぞれのプライベートの空間からコンピューターのスクリーンを通して会話をする。私は今でも、Zoomを通したコミュニケーションの、そのデジタルスクリーンのつるりと平べったい感じがどうにも好きになれない。顔を合わせて話をするとき、相手の雰囲気やかすかな表情の変化など、非言語的なものの要素にいかに解釈が左右されているかに気付かされた。私のクラスはディスカッション形式が主流なので、空間を共有してこそ生まれる学びがあるということにも。これからもコロナ危機は続いていく中で、学び方の変革、この環境でどのように学びの質を守っていくのかという課題が残る。

私の大学は、夏休み中にキャンパスの教室にカメラとマイクロフォンを設置し、Zoomを使って教室内の学生と、リモートで参加する学生とが同時に授業に参加できるようにした。これは俗にいうHyFlexという授業のやり方で、パンデミックを機にこの方法が注目を浴びた。学生にキャンパスで授業を受ける選択肢と、自宅でリモートで授業を受ける選択肢を与えることで、コロナウイルスに感染したり、濃厚接触等による外出制限が出ても学生の学びの継続が可能となる利点がある。キャンパスを再開するという大学の方針には、やはり不安や疑問を投げかける人もいた。夏休みは再開するための安全対策に費やされた。それでも不安は拭いきれなかった。パンデミックはいつ終わるのか、大学を再開するということの道徳的意味は何なのか。学生たちは文句を言わずにマスクをつけるだろうか。教員がコロナに感染したら代わりに誰が授業をするのか。キャンパス内の感染対策は万全なのか。健康面で不安のある教員やスタッフはリモートワークを許可されるのか。様々なシチュエーションを予測して議論が交わされた。ウイルスの知識やパンデミックの展望が日々移り変わる中で様々な決断をしなくてはならなかった。結果として、私の大学では学期の始まりに学生の感染者が一時増えたが、その後感染が爆発的に増えるということはなく、今の所、閉鎖を免れている。しかしキャンパスはほぼガラガラで、教室に来て授業を受ける選択肢がある学生でも、Zoomで自宅から授業に参加する学生が大半である。教員が1人、そして学生が2、3人だけ教室にいて、残りは全員Zoomにいる、という状態である。これは教員にとって非常に教えにくい環境であることは言うまでもない。

アメリカに留学している学生たちにもパンデミックは多くの問題を引き起こした。私の学生の中に韓国出身の者がいて、彼女は5月の卒業を待たずに国に帰っていった。韓国は感染対策がしっかりしていて、帰国してすぐにPCRテストを受け、親戚の家で2週間の自宅待機のあと実家に無事に戻った。彼女ともZoomを使い、時差を超えて学期の終わりまでコミュニケーションをとった。

写真2 大学のキャンパスにはこのようなマスク着用を促すポスターが貼られた。
ソーシャルメディアでハッシュタグを使ったキャンペーンも行われた。
(2020年10月13日関本幸撮影)

リモートワークをしながらの子育て
3月半ばの春休みから、私と配偶者は自宅勤務が始まり、同時に当時4歳だった息子も保育園を自粛して自宅にいることになった。私の配偶者は一日中Zoomでミーティングが続くような仕事内容なので、必然的に日中は私が一人で仕事をしながら子供の面倒を見るという生活が7ヶ月続いた。それまで日中の子育ては保育園に頼り、仕事と子育てをきっちり分けることで成立していた生活のバランスが崩壊した。しかし緊急事態なので働くしかない、育児もするしかない。新型コロナウイルスの感染拡大のニュースに日々恐怖と不安を感じながら、それでもなんとか春学期を終えることができた。当初、息子は全く生活の変化を気にしていないようだった。一日中家にいても、少しも気にならないようで、それには逆に救われた。そうか、この年齢の子供というのはこんなにも親と一緒にいれば大丈夫なのか、と。私のZoomミーティングの邪魔をして同僚たちに愛想を振りまいたり、スター・ウォーズにハマったりして、日々家で遊んでいた。夏休みに入ってからは少しだけ仕事にも余裕が生まれたので近所の子どもたちと外で遊ばせたり、ひらがなを教えたりして自粛生活を少し楽しめるようになった。近所の人たちと交流する機会が増えたり、大学時代の友達たちとZoomで毎週末会ったりして、パンデミックが起こらなかったら築けなかった関係もたくさん生まれたことはありがたいことだった。7ヶ月も私とみっちり一緒にいたので、普段は英語だけ喋っていた息子も日本語の表現が増えて、そんな変化を見るのはとても嬉しかった。自分の名前もひらがなで書けるようになった。それまでは子育てと仕事の時間をきっちり分けて来たが、このような働き方もあっていいのではないか、とも思った。

子供と一緒に毎日の生活を送ることに喜びを感じる日々がしばらく続いた。しかし、テレビの前に座らせなければ3分毎に仕事の邪魔をされる生活にはやはり限界が来て、10月半ばに子供を再び保育園に通わせることに決めた。集中できない環境で仕事をするというのは非常に疲れることで、仕事も育児も両方うまく行かないという状況になっていた。秋学期が始まって2ヶ月ほど経つ頃には、仕事にも育児にも喜びを見いだせないような状態に陥っていた。気がつけば本当に心底疲れ切っていた。キャンパスが閉鎖された当初や、夏休み中の緊急事態に対処するアドレナリンがなくなって、忍耐力や創造力などがすり減り、イライラしやすく、子供と遊ぶことができなくなっていた。私の住んでいる街でも保育園のスタッフに感染者がでて教室が閉鎖されたりしていたことは知っていたが、地域の感染者数が長期的に低かったこと、大学の再開後も感染が爆発的に拡大しなかったことを踏まえて登園に踏み切った。とりあえず今の所問題なく、息子は元気に通っているが、不安が残らないといえば嘘になる。

写真3 自粛生活中に補助輪無しで自転車に乗れるようになった筆者の息子。
アメリカでは自転車の売り上げが大幅に伸びて、
近所をサイクリングしている家族の姿をよく見かけた。
(2020年9月25日関本幸撮影)


コロナ危機とレイシズム

コロナ危機はアメリカ社会の差別構造を映し出し、同時に悪化させている。日本で問題になったような、ウイルスに感染した人や医療従事者に対する差別意識というものはあまり問題にならなかった。逆に、医療従事者はウイルスに立ち向かい、国民の命を守る英雄的な存在になっている。こういう風潮は、彼らを英雄化することでその裏にある構造的な不平等や犠牲をうやむやにしてしまうという欠点がある。アメリカではウイルスの感染者、死者が社会の弱者グループに不均衡に偏っていることが統計を見ると明確である。特に、人種による感染率、致死率の格差はアメリカ社会の差別構造をそのまま反映している。

州政府の報告によると、2020年11月の時点で、ミネソタ州に住むアフリカ系アメリカ人は白人の4倍、ラティーノ系は白人の5倍の確率でCOVID-19に感染するというデータがある1)。この数字は冬になってから感染者が急増する中で少しずつ変化しているが、感染率の人種的格差が縮まる様子はない。アメリカ先住民族のグループでは、感染者の15パーセントほどがコロナウイルスのために入院するというデータがあるが、白人は6パーセントに留まっている。ICU(集中治療室)に行く割合は10万人中、ラティーノ系は173人、ブラックは147人、先住民族は154人、アジア系は116人に対して、白人は19人と非常に顕著な差がある。ミネソタの人口の8割が白人なのだが、その中で2割を占める有色人種のコミュニティの中での感染率、入院率、致死率ともに白人との差が浮き彫りになっている。その背景には、新型コロナウイルス感染症の重篤な症状を発症するリスクを高めるとされる、糖尿病、心臓病、肥満などの率が有色人種に高いことがある。それは先天的なものではなく、医療へのアクセスの格差というものがアメリカの人種差別の歴史に深く根付いているからである。同時に、エッセンシャルワーカーをはじめ外に出て仕事をしなければならない人々の間で、コロナウイルスに感染するリスクは高くなる。それは食品加工工場、老人ホーム、スーパーマーケットや倉庫で働く肉体労働を中心とした低所得者、及び移民労働者たちである。ミネソタ州では、2020年の夏には、4人に1人のアフリカ系アメリカ人が失業手当を申請したとされ、その数は10月には10に1人と減ったが、白人の中ではその数は33人に1人とされている。パンデミックが始まってから、実に60%のアフリカ系アメリカ人、46%の先住民族が失業手当を申請したとされる2)。人種の格差は経済格差と直結しており、パンデミックによって及ぼされた経済的な困窮は今後も長期的に爪痕を残すであろう。

その他にも、反アジア系人種差別はパンデミックの当初からニュースになっていた。アメリカの大統領が率先してコロナウイルスを中国のせいにしたため、人々はフラストレーションをアジア人に向けた。当初まだマスクが一般的に使われていなかった時期は、マスクをしているアジア人は感染していると誤解されるのではないか、という恐怖もあった。アメリカではマスクをつけることに対する反発があり、ミネソタでは州知事が「マスク着用令」を7月末に発令して初めて着用が徹底された。日本では安倍首相が布マスクを全世帯に配布して批判を浴びていたが、アメリカではトランプ大統領がマスクの着用を拒否して分断を更に深めたのは呆れて言葉にならない。そんなマスク論争が続いた9月、プロテニスプレーヤーの大坂なおみさんがBlack Lives Matterの抗議運動の一部として、US Openの試合に勝つたびに、警察の暴力によって命を落とした人々の名前が書かれたマスクをつけてインタビューを受けていたのはとても印象に残った。

このBlack Lives Matterの抗議運動がアメリカ中、そして世界に広がっていく発端となった事件は私にも衝撃を与えた。パンデミックが多くの人々に経済的困窮をもたらし先が見えない中で、7月の終わり、アフリカ系アメリカ人の男性が警官に暴行を受け死亡する事件が起こった。私の住んでいる街から120キロほど北のミネアポリスで、その事件は起こった。ジョージ・フロイドさんの死は、残酷極まりない事件の動画がソーシャルメディアで拡散され、一夜にしてミネアポリス、セントポールを始めアメリカ中に抗議運動を巻き起こすこととなった。平和的な抗議運動が大半だったが、夜になると一部暴徒化し建物が破壊されたり、店からものが盗まれたりした映像は日本でも報道されたと思う。パンデミックの真っ只中の外出制限がある中で、多くの人々が抗議運動に参加した。それは、コロナウイルスに対する恐怖よりも、アメリカという国を蝕む人種差別というウイルスの方が多くの人々にとっては脅威だからである。アメリカでは、アフリカ系アメリカ人は白人の2倍以上の確率で警察に殺害されるという統計がある3)。その他にも、教育、雇用、医療、住居、財産など社会構造全体で人種の格差が根強く残っている。パンデミックが更にその格差を助長し、有色人種の人々を不均衡に追い詰める中で起きたこの事件は、教育の現場にも大きな影響力があった。ジョージ・フロイドさんの死は、教育を通して反人種差別を説いていくことの重要さを再確認させた。

写真4 マンケートの市民ネットワークによる集会の様子。
Black Lives Matter、LGBTQ、移民、環境問題など
様々な社会問題について市民活動家たちがスピーチをした。
筆者もマスクをして息子と参加した。
(2020年8月17日関本幸撮影)

おわりに
波乱の2020年はあと2ヶ月弱で終わるが、アメリカでは新型コロナウイルスの感染収束の兆しはなく、4年続いた分断政治の影響も今後長く続いていくと思う。アメリカは今、大きな変化の時期にある。アメリカの人口は、2045年には白人がマジョリティではなくなると予測されている。まるでその変化に抗うように、分断は深まっている。同時に、人種を超えた草の根運動が確実に広まっていることも事実である。ポスト2020の世界はもう、パンデミック前の「ノーマル」に戻ることはできないのだと思う。いや、戻ってはいけないのではないか。このパンデミックを機に、今までの社会のあり方を問い直し、新しい社会の仕組みや人と人との繋がり方を模索する必要性を感じずにはいられない。


  1. ^  Minnesota Department of Health. COVID-19 Dashboard: Data by Race and Ethnicity.
    https://mn.gov/covid19/data/data-by-race-ethnicity/index.jsp
  2. ^  Minnesota Department of Health. COVID-19 Dashboard: Unemployment.
    https://mn.gov/covid19/data/data-by-race-ethnicity/index.jsp
  3. ^  Police Shootings Database by the Washington Post.
    https://www.washingtonpost.com/graphics/investigations/police-shootings-database/
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