コロナ時代のフィールドとのつながり方(3)―ケニア北西部の牧畜民ポコット、および首都ナイロビの知人たちとの交流の記録

2021年1月27日

稲角 暢(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科(休学中)
/日本学術振興会ナイロビ研究連絡センター(副センター長)、生態人類学、地域研究)

コロナとの距離感:
前回の記事では、コロナの感染拡大にともなう収入の減少、食料確保の不確実性におののき、政府の暴力を恐れる、ある種、人びとの「弱々しく」「おびえた」姿ばかりを描いてしまったように思う。それでは、ケニアの人びとはおびえて家に閉じこもり、生計活動をストップしてしまったのだろうか?

答えはもちろん、否である。2020年4月~6月頃にかけて、ナイロビのスラムの知人たちから、わたしがよく聞いた言葉を意訳すると、
「腹をすかして死ぬくらいなら、コロナで死んだ方がましだ」1)
となる。

2020年6月上旬、ケニア政府が夜間外出禁止措置を緩和したことで、コロナ以前のレベルまで仕事に復帰した人が増加したが、そもそも、働く場のあった人々の多くは、短時間であろうとも、客が皆無であろうとも、3月以降の「自粛期間」にも働きにでていた。6月以降、ケニア、とりわけナイロビで急速に感染が拡大しているのは確かだが、スラムの知人たちはコロナに対する恐れを口にしながらも、
「でも食べていけなければ、死んでしまう。自宅に籠るのがベストなのは分かっているし、できることならコロナは避けたい。でも、そうしたらどうやって食べていけるんだ。そもそも自宅は長屋なのだから、トイレもシャワーも共同で感染リスクは避けがたい。恐怖を抑えて、働きにでるしかないさ」
と強気を装っている。
またある者は、
「コロナなんて、政府の流したデマだって、みんな言っているよ。気にせず働いていいんだよ」
と、本気なのか、自分を納得させるためなのか、軽口をたたいたりもしている。

結局、かれらは商売のために店に立ち、路上を歩き、コロナ感染のリスクにさらされている。もちろん、知人たちには、わたし個人の自宅への「避難」も選択肢として示してはいるが、それでは働きに出るのが難しかったり、親族・友人・隣人との関係を維持できなかったりすることが想定されて、現在のところ、まだ誰も「避難」に踏み切る段階には至っていない。働き、仲間や友人、家族と喋り、ともに食べ、自分の居場所で穏やかに眠る、という「生活」の大切さと、感染リスク、コロナとの距離感の測り方は、それぞれ個人にとってほんとうに難しい。

筆者の自宅が含まれるナイロビのタウンハウス
(チェプケモイ・カティライ氏撮影、2020年7月撮影)

わたし自身はコロナとの遭遇を非常に恐れ2)、在宅勤務を続けながらナイロビの自宅に閉じこもっている。かれらは、そんなわたしの生活の様子を聞く一方で、こうしたある種の「から元気」を語る。家にとどまることができず外で働かねばならないかれらと、その様子を安全な自宅に閉じこもりながら心配する外国人のわたし。そんなかれらとわたしの関係は、個人、民族、国の違いに基づく経済的な格差の構造を反映させているようで、どこまでも痛々しく、はかなくも見える。しかし実際には、その構造を超えて、それぞれの知人との個別の関係に基づく、かれらの温かな愛情をわたし自身は感じとっており、わたしはそれをよりどころとしながらかれらへの愛情を返しているつもりである。


  1. ^ スワヒリ語で、‘‘Hatutaki kufa na njaa, tukufe na Corona.’’と複数人から言われたわけだが、ナイロビの崩れた若者スワヒリ語を解さない筆者のために、知人たちが言い回しを直してくれている可能性は高い。定型句が別にあるのかは不明。
  2. ^ わたし自身は、かなりコロナへの感染を恐れている。感染による死亡の可能性を常に頭に置いているからなのだが、こうした想像を働かせるきっかけは、映画『コンテイジョン』などのパンデミック映画を、過去に鑑賞していたことにあろう。

コロナとの距離感:ポコットの幸福な状況
一方、ポコットはどうか、というと、少し様子がちがう。2020年7月時点においては、コロナを恐れる、恐れない、ではなく、そもそも実感として、コロナの接近を直接的にも間接的にも感じていない様子であった。そして、コロナの問題などわきに差しおいておかなければならないほど、かれらの生活は日常の幸福や心配事に溢れていた。

わたしの調査地のポコットは半乾燥地域であり、大雨季の前半の4月から5月にかけて、例年になく、よく雨が降った。そのため家畜3)が食べる緑(植物資源)が満ち、家畜の仔がよく産まれ、母家畜はミルクをよく出した。また近年活発化しているトウモロコシ農耕の今年の出来は素晴らしく、豊作が期待されている。

ポコットの調査地のトウモロコシ畑(マイケル・ブッシュ氏撮影、2020年7月)

この大雨のせいで郡内のバリンゴ湖は増水し、南に隣接する農牧民チャムスの集落や畑が水没したり、水浸しになったりした。ケニア全体でも今年の雨量は多かったようで、過剰な雨量と日射不足で、農作物が不作の地域もあるようであった4)。しかし、バリンゴ郡北部のポコットでは、例年は乾燥した地域が大雨で潤い、逆に豊作となるようである。

また、今年は東アフリカのバッタ被害がかつてなく大きいと報道されている。しかし、バリンゴ郡のポコットにおいては、1月のトウモロコシ農閑期と、4月のトウモロコシが播種され、芽が出はじめた時期にやってきたバッタの大群は、ある地域からはたった一晩で飛び去るほど、短期間で消え去った。

雨の後に現れると言われているバッタの子どもの群れ(稲角暢撮影、2014年6月)
ポコットでは成虫のバッタは食される5)(稲角暢撮影、2012年12月)

軍が「銃狩り」を展開したことは、前回の記事の通り不幸な出来事ではあったが、およそ毎年のように発生する出来事でもあるため、人びとはある程度慣れていた。そして軍は去り、人びとは日常を取り戻し始めているのである。

そして、コロナ感染に関しては、国と郡の公式発表としては、7月現在、ポコットにコロナの感染は届いていない。もちろん、この公式発表が感染拡大の実態に即していないことは自明ではある。そもそも、バリンゴ郡だけでなく、ケニアのいくつかの郡では、検査のための機器や検査キット、そして技術者たちのいずれか、あるいはそのすべてが届いてない、ということが報道されている。検査がまずできないのだから、公表感染者数も増えようがない。ケニアで公式に確認された感染者数が1万人に届こうとしていた7月上旬時点の報道では、ケニア全体で推定される実際の感染者数は270万人であるとする調査結果が伝えられている6)。実際の感染者の数は、確認されている感染者の数をはるかに上回ることが推定されているのだが、いずれにせよ、7月現在、ポコットにはコロナは届いていない、というのが、公式の、そしてポコットの人びとの見解であった。


  1. ^ ポコットの主な家畜には、ウシ、ヤギ、ヒツジ、ロバ、ラクダがおり、フィールドの緑(植物資源)の多寡は、これらの家畜の生死に関わる。他の家畜としては、ニワトリ、イヌ、ネコがいる。
  2. ^ ナロック郡、トランス・ンゾエア郡、ビヒガ郡の知人に、このような話を聞いた。
  3. ^ 頭部を消化器官もろとも抜き取り、串に刺して、火で焼いて食べる。油で炒めて食べることも。大人ももちろん食べるが、とりわけ子どもたちが喜んで食べるらしく、身はもちろん、卵も絶品らしい。もし捕まえられるものであれば、一人で100匹でも200匹でも食べたいそうであるが、ただ、ひとつ前の写真のバッタの子どもは、苦みがあるため食べないそうである。
  4. ^ 参照元URL:https://www.thecitizen.co.tz/news/2-7-million-Kenyans-may-be-exposed-to-Covid-19--study-shows/1840360-5587636-15j0d29/index.html

コロナとの距離感:ポコットの悲惨な状況
ポコットにとって幸いなこうした出来事の一方、雨季を経た2020年5月以降は、通常の家畜の病や、人の病(マラリアや腸チフスなど)が、例年通りよく流行った。適切に対処しなければ、死亡するものも出るため、人びとはコロナに対処する前に、これらの通常の病に向き合わなければならなかった。

そして、7月上旬以降、不吉な噂がバリンゴ郡北部のポコットを広く駆け巡った。それは、「バッタ被害への対策として、飛行機から空中散布された殺虫薬剤の影響で、家畜が死にはじめている」というものだ。バリンゴ郡北部では、郡の行政は殺虫薬剤を手配せず、撒いていない。しかし、北東に隣接するサンブル郡において撒かれた薬剤の影響が、郡境内外に住むポコットの家畜に現れ、家畜の弱体化・死亡被害の事例が出ているという。また、ポコットの南に住むバリンゴ郡内のチャムスの農民たちが、南東に隣接するライキピア郡の動物保護区のオーナーに薬剤散布を依頼し、ポコットとチャムスが混住する地域にも薬剤を撒いてもらったという。そして、この地域でも同様に、家畜が弱体化し、死亡しているのだという。加えて、ポコットにおいては養蜂も盛んなのだが、家畜の弱体化が拡がる両地域からは、その地域のミツバチが死滅したという話も聞こえており、薬剤散布の家畜への悪影響を裏付ける間接的証拠としてポコットの人びとによって語られている。

コップに残った水に群がるポコットのミツバチたち(稲角暢撮影、2015年3月)

「これまでに知っている病とは、まったく違う」とポコットが語る症状7)が拡がる地域と、薬剤が空中散布された地域には、これまでわたしが聞き取っている限りでは、かなりの重複があるようである。とは言え、もちろん、因果関係はまだ不明である。2020年のバッタ被害対策にFAOなどが配布する薬剤の管理や使用方法は、環境への影響が最小限となるように、きちんとマニュアルが定められている、と、ナイロビの知人からは聞いた。サンブル郡、ライキピア郡それぞれの散布薬剤の種類や、使用方法(希釈率など)、散布の時期や範囲を特定しないことには、因果関係の有無については仮説すらも立てえず、詳細な情報を待つしかない。

実際の因果関係はともかくとして、未知の症状が広範囲に拡がり、家畜が苦しみ、亡くなっているのは事実である。ポコットのホストファミリーの父の400頭規模のヤギ群は、前述の、ポコット南部のチャムスとの混住地域に暮らしている。7月上旬から症状が出はじめたこのヤギ群では、7月下旬までの2、3週間で30頭余りがこの病で亡くなり、ほかに20頭余りが重篤な状態で、ほかのヤギもほとんどが軽い症状を示しているそうだ。また、このヤギ群から北に20㎞ほど離れた場所に、父の300頭規模の別のヤギ群がいるのだが、こちらではまだ亡くなったヤギはいないものの、10頭余りの重症ヤギがいるという。父やその周辺のポコットの人びとの想像では、6月に改めて降った雨以降、植物資源、あるいは水資源を経由して、この薬剤がなんらかの形で家畜の身体に入り、影響が現れているのではないか?と考えている。当該地域のポコットの人びとのなかには、家畜を連れて被害の出ていない地域に移住しはじめたものもいるという8)

ポコットの人びとにとって、既知の家畜用化学薬・植物性伝統薬が全く効かずに、旧知の家畜が次々と苦しみ、亡くなっていく悲しみと焦りは途方もない。遠いコロナの話におびえるよりも先に、身近な死に対処することの方が、まっさきに向き合うべき急務なのであった。

家畜囲い内の痩せこけたヤギたち(ロクワニャング・カティライ氏撮影、2020年7月)

一方、その7月下旬、バリンゴ郡北部は連日の大雨に見舞われた。ポコットの行政上の中心地であるT町9)では、川の堤防が決壊して、店が何軒も浸水し、道が寸断され、1名が死亡した。被害は町周辺だけでなく、上流で濁流にのまれて亡くなった人や、畑が流された人もいるという。地元政治家などの広報活動により、この被災状況は全国紙で報道され、赤十字や援助団体からの支援が、およそ80家族に及ぶ「町の被災者」に届けられた。今後、町の復興に向けて、人びとにはまだまだ長い道のりが残されている。

町の建造物のあいだを流れる氾濫した川の水(ポリット・カティライ氏撮影、2020年7月)

  1. ^ 下痢をして、目ヤニが出て、皮膚に発疹のようなものができる、というような具体的な症状は、電話でいくつか聞き取れたが、他の病におけるそれらの症状や経過となにが違うのか、わたしにはまだ把握しきれていない。父からは症状が出ているヤギの群れの写真が何枚も送られてきたが、下痢をしている様子や、この緑が豊かな時期に無残に痩せている様子は、確認できた。家畜が死ぬと、多くのポコットは解体を兼ねた解剖をして、体内の状態を調べるのだが、その解剖時の内臓の写真などを現在要望しているところである。
  2. ^ もちろんかれらは、症状の出た家畜の囲いを別にしたり、放牧群を別にしたり、と、疫病への対処にも余念がない。こうした対処は、政府が推奨するコロナ感染隔離措置からの影響を連想させるようだが、もちろんそうではなく、長年の経験と、地域の内外のさまざまな影響を受けながら培われ、採用されてきた対処法である。
  3. ^ ポコットの町には、店や食堂、宿泊用ホテルなどが立ち並び、居住地はほとんどない。ポコットの人びとは町から1~数㎞離れた場所にホームステッド(家とその敷地)を設営するため、町に住居を築き、寝泊まりするのは、ソマリ人商人の家族や少数のポコットの人びとだけである。

ケニアにおけるコロナとの対し方
今回の記事で述べてきた通り、首都ナイロビのスラムの人びとにとってコロナは、身近に潜む疫病であるとは言え、生活のためにはあえて軽視、あるいは無視しなければならないような存在のようだった。一方、ケニアの周縁地域に住むポコットの人びとにとって、コロナはまだまだ「遠い疫病」であった。いまは目の前に広がる、自然の恵みを謳歌するとともに、生起してくるさまざまな問題に全力で対処しなければならないのだ。ナイロビでもポコットでも、いつまでもコロナばかりにかかずらってはいられない、というわけである。

アカシアの花が咲き誇るポコットの大地と小さな町(稲角暢撮影、2019年10月)

ケニアの他の地域の知人に話を聞いても、およそ上述のナイロビの知人のような「から元気」とも言える態度と、ポコットの人びとのような「遠い疫病だから大丈夫」という認識の間を行き来しているようであった。ただ人びとに共通しているのは、「政府・国際組織などから与えられた措置や規則、理念」を過信したり、「伝統的に伝えられた知識や価値観」10)に固執したりするのではなく、目の前に立ち現れる状況や問題に即して、自らの知識経験に基づく選択肢のなかから、人びとが融通無碍に対処方法を選び取っているように見える、ということである。こうした日常の生活世界における選択のあり方は、文化人類学者の松田素二により「価値基準の範列的操作」として説明されている[松田 2013]。ケニアの日常世界において、それぞれの個人の生の生き方は、家族や地域社会からの要請にさほど縛られずに、それぞれ個人の経験に即した意思決定がかなり尊重されて扱われているようにわたしには感じられている。いまはコロナが「遠い」ポコットではあっても、いつかコロナに取り巻かれたときには、各個人が状況に応じて新たな行動を選び取ることになるのだろう。

次回の記事では、ケニアの子どもたちの生活が、コロナによってどのように変容しているのかを紹介する。また、今後、医療体制が脆弱と言われるケニアの地でコロナの感染が拡大していくなか、わたし自身がどのようにフィールドの人びとと寄り添えるのか、思うところをつづっておきたい。

【参照文献】
松田素二
  2013「現代世界における人類学的実践の困難と可能性」『文化人類学』第78巻1号:1‐25。

※記事一覧サムネイル写真:ケニア北西部バリンゴ郡の牧畜民ポコットのホームステッド(家とその敷地)(稲角暢撮影、2012年12月)


  1. ^ 今回のコロナの事例の場合、現地の植物由来の伝統薬による治療や、コロナの存在そのものを否定する託宣・予言などがあげられるだろう。
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