コロナ時代の子どもたち
2020年3月中旬に発表された休校措置にともない、ケニアの首都ナイロビをはじめ、都市部の多くの子どもたちは、自宅にとどまる日々が続いた。ケニアの都会の子どもたちが受けた影響は、日本の友人から伝え聞く日本の子どもたちの休校時の場合と、それほど変わりがないのかもしれない。一方、ポコットなどの周縁地域の子どもたちには、コロナの影響はそれほど見受けられていない。
乱暴な分け方ではあるが、ナイロビの知人の子どもたちは、およそ2つのグループに大別できる。一方は、インターナショナル・スクールや、学費が比較的高額な私立学校の生徒、もう一方は、公立学校や、学費が低額な私立学校の生徒である。
親が大学教授だったり、銀行や大会社に勤めていたりするような、前者に属する子どもたちの1日は忙しい。子どもたちは、朝から午後にかけて断続的に続くオンライン授業と、その宿題をこなさなければならない。一方で、「教育意識の高い」親が組んだ、ジョギングなどの運動プログラム、お菓子作りなどの料理プログラム、絵描きや楽器演奏などの芸術プログラムをもこなす必要がある。
一方、スラムの子どもたちをはじめ、後者のグループに属する子どもたちは、家事を手伝ったりするほかには、基本的にはやることがないと聞いている。遠くへ外出するのは感染リスクの面から、多くの親が禁じるので、テレビを見ながら1日を過ごすか、参考書を開いてみるか、ごく近い隣人の友人たちと遊ぶくらいである。高校生であれば、学校から送られてくる課題や、インターネット上で探せる問題を、ネットカフェなどでダウンロードし、自宅で解いたりしている場合もあるらしい。このグループの子どもの親たちは、子どもたちがかなり無為な時間を過ごしていると感じているらしい。しかし、インターネットへのアクセスは、通信機器の数と通信費がかさむ問題ゆえに限定的であるし、数少ない公設・私設の図書室などへのアクセスも限られているため、打開策が見いだせないでいるようである。
一方で、ケニア北西部の牧畜民ポコットの子どもたちをはじめ、ケニアの他の周縁地域の子どもたちは、それぞれの地域における生業への参与に勤しみ、勉強にはほとんど手を付けていない、と聞いている。家事手伝いだけでなく、農村地域の子どもたち1)は、畑仕事のお手伝い、牧畜地域の子どもたち2)は、放牧のお手伝いなどをしているそうだ。そうした生業に従事する生活のなかでは、コロナに対する緊張感は、あまり感じていないという。周縁地域であっても、地域コミュニティ、あるいは家庭によっては、自宅敷地内へやってくる訪問者に対して、マスク着用や手洗いを要求している場合もあるようだが、多くの場合では「マスク着用などの規則を守るのは、町で警察に捕まらないためだけのもの」でしかないそうである。
ケニア周縁地域の子どもたちも、一応マスクを所持している場合があるようだが、装着する機会はめったにないという。ケニアでは、4月上旬ころから、およそ50円~100円ほどの布マスクが都市部・周縁部を問わず、広く出回るようになっている。しかし、町に行かないことを理由に、マスクすら買っていないという人びと(主に、老人、女性、子ども)も多い。
ケニアの周縁地域における学校教育の弊害3)を、わたしは2011年の調査開始当初から感じているのだが、この2020年のように、子どもたちが強制的に学校教育から離脱させられるという状況は、めったにない貴重な子どもの成長機会として利用すべきだと考えている。これまで学校教育に浸かってきたことで、地域の生業や、「伝統的な文化」に触れる機会が限られていた子どもたちが、少なくともこれから半年間は、「伝統」にどっぷり身をゆだねることになるこの機会を、ポコットの牧畜民の多くも歓迎しているという。
たとえば、ポコットのホストファミリーの9歳の少年は、休校となった3月以来、300頭ほどのヤギ・ヒツジの群れを、父の第6夫人とともに、山をまたいで毎日放牧している。放牧地の自然の変化、家畜との絆、放牧中に出会う人びととの交流など、この2020年の長期継続的な経験で得られる知識、感性、その蓄積のすべては、今後のかれの人生の「伝統」理解の根幹を支える宝になるように思うのである。
今後のコロナ拡大への懸念と、各地の医療体制の現状
2020年3月から始まったケニア政府による、コロナ封じ込め措置は、2ヵ月あまりを経て、6月から徐々に緩和されはじめている。6月上旬には夜間外出禁止時間が短縮され、7月上旬には、都市間移動制限の解除とともに、8月からの国際旅客便の再開が宣言された。一方、高校以下の学校の休校は、2020年の年末まで続くこととなり、全国の学童は1年留年することが決定した4)。
こうした措置の緩和を受け、7月上旬から中旬にかけて、ナイロビをはじめとする都市に住む人びとが、田舎の実家へ帰省するラッシュがはじまった。主に、都市で職を失った人びと、そして、都会の狭い区画に閉じこもって学校再開の動向をうかがっていた子どもたちなどが、通常の2倍にもなる交通費をなんとかやりくりして、田舎に帰省し始めたのだ。田舎の実家では、実家の生業に従事する者、都市生活を離れ、ストレスなく人との距離を保てる日常を謳歌する者など、過ごし方はさまざまなようであった。
これらの措置の緩和が、これまでの行動抑制の苦しみから人びとを解放する、という側面は少なからずある。しかし一方で、7月下旬現在、ケニアで毎日確認される新規感染者の数は、6月下旬と比べて4~8倍程度にまで膨れ上がっており、都市間移動の解禁によって、全国の新規感染者の数は今後爆発的に増える可能性がある。これまで感染者がいなかったとされるバリンゴ郡にも、確実にコロナの感染は(公にも)届くに違いない。
- ^ ケニアの周縁地域で、学校への早期入学と通学が絶対的善とされると、その地域の生業の経験や、「伝統」社会への敬意が育つ前に、子どもたちは学校へ入れられる。そして、「グローバルな世界に通用する知識・価値観・身の処し方」に全身を染めあげられていくのだ。雇用が確保され、その後の人生が「伝統」との接触なしに続くのであれば、それでも構わないのかもしれない。しかし、人生の幸福を「伝統」を含む複数の価値基準の「範列的操作」[松田 2013]によって達成しうるようなポコット社会においては、早くから強制的に学校教育に染め上げられてしまうと、就職して「伝統」から離脱することもできないのに、一方で地域社会の規範や価値観、行事などにも溶け込めない中途半端な存在に成長してしまうことが多い。学校教育によって、人生の選択の幅が逆に狭まり、結果的に不幸な状況に陥っている人の事例が多いように、個人的な観察からは思われるのである。
- ^ 大学については、各校個別の状況に応じて、判断が下されるようである。
一人あたり座席を2つ占有するべし、という、公共交通機関において人との距離を確保する措置は、実家への帰省の長距離バスでも採用されているというが、それでも他者との近接は避けられない。帰省先の郡によっては、長距離バスで帰省した人びとにPCR検査が施され、陽性の場合には、病院での2週間の隔離が強いられることもあるという。また、陰性であったり、検査できなかったりする場合でも、「帰省者」に向ける人びとのまなざしには厳しいものがあると聞く。田舎には高齢者が多く、死亡率の上昇が懸念されていることも、そのまなざしの厳しさに拍車をかけているそうだ。
ケニアの周縁地域においては、コロナの検査ができる体制はほとんど整っていない5)。熱や咳などの症状が出たら、地元の診療所へ行って熱を測ってもらい、マラリアや腸チフスの検査をしてもらい、そして通常の風邪と同様の処方をしてもらうしかないのである。半年後すら、ポコットの町に検査体制が届きうるかどうか、わたしは疑わしく思っている。そして、ケニアの多くの地域では、植物の根や皮、枝や葉などを煎じた「伝統薬」が盛んに服用されており、その有効性の方が体感されているため、診療所にすら来ない、という事例の方が多い。たとえば、ポコットの診療所では、コロナ感染者と出会う可能性を恐れている人は、ほとんどいない。そうではなく、そもそも「自分がコロナに感染した可能性がある」とは、微塵にも思っていない(場合によっては、そう思いたくない)人びとが圧倒的に多いのである。
一方、ナイロビをはじめとする「感染拡大地域」では、求めれば、病院での有料の検査で、あるいはスラムに設置されている無料検査場などでのPCR検査を受けることができる。在ケニア日本国大使館からの6月下旬の案内によると、個人宅を訪問してPCR検査をしてくれる民間検査機関もあるという。検査をして自分が陽性であれば、自身の隔離や治療につながり、さらに濃厚接触者の特定や追跡へとつながりうるわけだが、この点について、ナイロビのスラムの人びとは、実は価値をほとんど見出していないようだ。
ナイロビのスラムの人びとだけでなく、地方の都市部の人にとっても、PCR検査をすることそのものが社会関係上のリスクをはらんでいると聞く。隣人たちからの疑いの目や、直接的な攻撃対象になる可能性があるからだ。そのため、かれらは「自分はコロナではない」と祈りながら、薬局や診療所で処方される対症療法の薬を飲んで、自宅で静養することを選ぼうとする。
このようなケニアの状況では、コロナ感染の拡大はしばらくおさまることはないだろう。ケニア政府は、感染拡大のピークを9月に設定しているが、いまのケニアは「みんな感染して、亡くなる者は亡くなり、生き残った者だけでなんとかやっていく」という状況へと突入していっているのかもしれない。世界中で開発が急がれている治療薬もワクチンも、ケニアの庶民の手元に届くまで、どれだけの時間がかかることだろうか。このような状況のなかでは、ケニア国民の多くは、自分が感染しても重症化しないように祈る、あるいは賭けるしかないわけである。
その祈り、あるいは賭けの唯一のよりどころは、ケニアをはじめとする、アフリカ諸国で現在までに発表されている死亡率の低さであろうか。高齢者が少ない人口構成、検査体制が行き届いていないことなど、さまざまな要素が関係しているものと思われるが、こうしたよりどころを根拠に、人びとは「自分は大丈夫」とみなして、通常どおりに行動し、ほんとうに大丈夫であることを信じるしかないのかもしれない。2020年7月、ケニアにおける感染が急速に拡大している状況において、わたしはそう感じているところである。
- ^ この段落の内容は、主に、カジアド郡、トランス・ンゾイア郡、トゥルカナ郡、そしてバリンゴ郡の知人たちからの聞き取りによる。
フィールドワーカーとしてできること
1回目の記事の冒頭で説明したように、2020年現在までの3年間あまり、わたしは日本学術振興会(JSPS)ナイロビ研究連絡センターに勤めている。そのため、調査のためにフィールドを訪ねる研究者というよりも、ナイロビ、およびポコットの生活者、という性質をよりつよく持っている。しかし、フィールドの人びとと、ともに住み、食べ、歩き、感情をかよわせあうという、フィールドワーカーとして欠かすことのできない経験は、つねに更新し続けることができている。
そして、現地でのこのような経験を持つわれわれフィールドワーカーが、コロナ感染拡大の時代に自身のフィールドに対してできることは何なのであろうか?それぞれのフィールドワーカーの状況に応じて、さまざまな考え方があるとは思うが、わたし自身は、「1年後、あるいは数年後にフィールドを再訪した際に、自分の行動への後ろめたさなしに、人びととコロナ時代の話をできるかどうかを考えて、いま行動すればよい」と、単純に考えている。
調査地のポコットや、ナイロビのスラムの知人たちに関して言えば、コロナへの感染だけでなく、政府の措置や地域経済の状況が、かれらの生死にかかわってくる可能性が比較的高い。ポコットやトイ・マーケットをいつか再訪した時に、「ああ、あの人はコロナ時代に亡くなったよ」と、知人の死を事後的に知らされる悔しさを想像すると、わたしは堪らない気持ちになってしまう。そのように、心から慕う人びとがわたしにはいる。かれらのことを考えると、スマートフォンにかかってくる電話を毎日取り、あるいは逆に電話をかけて、「最近の様子はどうなの?」と知人たちの個別の状況や考えについて語り合える時間は、わたしにとって何よりも貴重なものなのだと実感するのである。
日本に帰国し、いつフィールドを再訪できるのか、と研究の進捗面から不安に思う研究者の方々は多くいらっしゃると思う。そして、その気持ちの奥底では、「現地の知り合いは大丈夫だろうか?」と心配する気持ちが、みな動いているのだろう。いまの時代、SNSやオンライン通話で、現地の人びとと連絡を取り合っている研究者の方々も多いと聞いている。国際送金も容易となり、2020年のコロナ禍の時期に限らず、非常時には、日本からフィールドへ送金されている方もおられるのかもしれない。
しかし、わたし自身の場合、日本で生活しながらフィールドの人びとと長く感情を共有し続けることは難しかった。日本での人間関係が目の前で進行するかたわら、ケニアの人間関係を駆動し続けることは、心理的に大きなエネルギーを必要とした。高額な国際通話料金や、ポコットの電波の微弱さゆえにオンライン通話が困難であったことも、コミュニケーションの停滞と関係性の希薄化に拍車をかけていたように思う。
直接フィールドには行けないものの、わたしはケニアのおなじ空の下で、政府の政策や気候の変化を、ともに感じとりながら共有できていることに、現在しみじみと感謝している。ポコットの山のなかからでもすぐに電話がかかってきて、毎日少なくとも1時間以上、ときには数時間にもわたり、お互いの抱える問題や不安、幸せな出来事について語り合うことができている。ときには、お金や人の手配、情報の探索に尽力して感謝され、ときには、わたしの家畜の治療や、遠隔的におこなっている小規模な調査のために奔走してもらって感謝を返している。
コロナ禍が広がる状況において、いまもなお、フィールドの人びととの交信を途切らせることなく継続できているわたしは、もしかすると、日本に帰国していた場合と比べて、はるかに幸福な状況に身を置けていると言えるのかもしれない。そう感じつつ、早くフィールドに帰れる日を待ちわびている。
【参照文献】
松田素二
2013「現代世界における人類学的実践の困難と可能性」『文化人類学』第78巻1号:1‐25。
※記事一覧サムネイル写真:ケニア北西部の牧畜民ポコットのホストファミリーと著者(瞿黄祺氏撮影、2019年10月)