伊勢大神楽とコロナ禍の日本を歩く(前編)

2021年5月17日

神野 知恵(人間文化研究機構国立民族学博物館特任助教・人文知コミュニケーター、民族音楽学、民俗芸能研究)

家々を訪ねる獅子舞
様々な業界でリモート化が進んでいる現在も、他人の家を直接訪ねないと仕事ができない職種といったらどんな人々を思い浮かべるだろうか…郵便局員、宅配業者、ライフライン関連業者、引っ越し業者、訪問医療や介護の従事者などがまず挙げられるだろう。さて、そうした仕事のひとつに「獅子舞」が入ることを想像してみた方はいただろうか?

日本には今も、家々を訪ね歩いて獅子舞を奉納することをなりわいとする人々がいる。彼らは伊勢いせ大神楽だいかぐらと呼ばれ、国の無形民俗文化財に指定されている。伊勢大神楽の担い手には、五つの組がある。三重県桑名市を拠点としているが、それぞれの組に属する神楽師たちは一年のほとんどを滋賀、大阪、福井、岡山など西日本各地の檀那場を廻る「回檀かいだん」の生活を送っている。今日も、彼らは誰かの家の玄関先で獅子舞を舞っているのである。

私はこれまで韓国の民俗芸能の研究をしてきたが、2016年からは旅する職業的芸能者の日韓比較研究を目指し、この伊勢大神楽に同行して各地をともに歩いてきた。2020年以降、コロナ禍による影響を受けながらも活動を続けてきた伊勢大神楽について考えたことを、ここで紹介したい。

写真1. 正月の回檀の様子、滋賀県湖南市、2019年1月(筆者撮影)

コロナ禍の伊勢大神楽の動向
2020年に入って中国での新型ウイルスの蔓延が報道で伝えられ、日本国内でも感染による死亡者が見られ始めた2月末頃、伊勢大神楽でもコロナ対策について話が出始めた。伊勢大神楽のほとんどの組は、1月から4月頃までは滋賀県各所を回檀している。私も3月上旬まで近江八幡市付近の現場で調査を続けていたが、当地の人々は古くから伊勢大神楽を歓待する風習が強いこともあり、コロナを理由に回檀を断る家はほとんど見られなかった。ただし、迎える人々の多くはマスクを着用するようになり、神楽師たちとも距離をとるようになってきていたので、私も胸を張って「大阪から取材に来ました」とは言いにくい雰囲気になってきた。

4月に入っていよいよ国内の感染者が増え始め、7日には七都府県で緊急事態宣言が出され、16日には全国に範囲が拡大された。私が勤務する国立民族学博物館は2月末から既に休館になっていたが、5月のゴールデンウィーク明けまでその延長が決まった。職員にも在宅勤務が推奨され、調査・出張は当面自粛となった。調査先で新しい知識や経験を更新し続けることで精神衛生を保ってきた私にとって、調査に行けないことは気が狂いそうに辛いことであった。同時に、これまでさんざんお世話になってきた神楽師の方々がコロナに感染するのではないか、自治体から中止要請が来て仕事が出来なくなってしまうのではないかという心配が募り、居てもたってもいられなかった。毎日のように電話やSNSメッセージなどで連絡を取っていたが、今思えばそれは研究的向上心からというよりは、自分が現場に足を運べないもどかしさをやわらげ、状況を確認して安心していたかったからかもしれない。

写真2. 総舞で曲芸を披露する様子、滋賀県近江八幡市、2018年2月(筆者撮影)

伊勢大神楽は地域によって、家々を廻るだけでなく、神社に村人を集めて、獅子舞や曲芸を披露する「総舞そうまい」を行うことがある。山本源太夫組は、毎年4月に長浜市のある集落で大きな総舞を行っている。しかし感染予防のため人が集まる状況は避けなければならないという地元の自治会等の判断により、中止になった。総舞だけでなく、回檀も断りたいと要請されたという。もともと伝統文化を大事にしている地域であるだけに、その決定には重みがあった。このケースのように、村全体で回檀が中止になったのは、伊勢大神楽のすべての組を合わせても数か村に過ぎない。

ゴールデンウィーク以降のコロナ対策
4月末から5月初頭は、ほとんどの組が、回檀の場所を移す時期である。例えば、森本忠太夫組は、滋賀を廻り終えて京都府亀岡市に移動となる。ゴールデンウィークを前に、新緑が目にまぶしく、田植えも始まる朗らかな季節だったが、テレビをつければ、1万人を突破したという国内感染者数や、海外でひっ迫する医療現場の惨状ばかりが映し出されていた。私は森本忠太夫組の番頭(事務局長的な役割を担う神楽師)のTさんに電話して尋ねた。

「えらいことになりましたね。これから亀岡の回檀どうするんですか?」
「どないしたらええと思う?良い方法があったら教えてほしいわ。」

Tさんは暗澹たる声で嘆いておられたが、数日後に再び電話があり、出発日を少々遅らせて様子を見ながら廻ってみるという。定宿にしている民宿からは問題ないという連絡をもらったこともあり、コロナ対策を万全にして廻り、自治会などから苦情が出たら桑名に引き返すことも検討するとのことだった。私は心から声援を送りたいと伝えながらも、さほど遠くない所にいるのに様子を見に行けないことを更にもどかしく思った。

写真3. 森本忠太夫組の春の回檀、京都府南丹市、2017年5月(筆者撮影)

森本忠太夫組はその頃にコロナ対策の方法を模索し、いち早く実践した。神楽師たちは旅の間は基本的に共同生活をしているため、一人が感染したら組全体が回檀を中止しなければならない。毎朝検温をして健康チェックシートをつけ、少しでも体温が高かったら現場に出ないこと、地域で何か尋ねられたらこの表を提示することを決めたという。マスク着用はもちろんのこと、アルコールスプレーを持って門扉開閉の際には必ず手指消毒の徹底を心掛けていた。

写真4. 森本忠太夫組の検温表、岡山県瀬戸内市、2020年7月(筆者撮影)

神楽師たちは普段家々を訪ねるとき、主人に声をかけ、初穂料と呼ばれる謝礼を受け取り、厄祓いの祝詞をあげ、新しい御札や返礼品を渡し、謝礼の金額を確認して奉納する獅子舞を決め、笛を吹き、太鼓を叩く、という一連の流れで仕事をしている。手の消毒をしたり、マスクを着脱したり、感染予防に配慮している旨を言葉で伝えながら1日100軒近くの家々を廻らなければならないというのは、心身ともになかなかの負担だろう。彼らはそのような状況に順応しながら、現在も回檀を続けている。

福井県越前市の大宝寺での総舞
山本源太夫組も、5月に滋賀から福井へと移動する。神楽師のSさんは、こんな時期に回檀したら石でも投げつけられるのではないか、自分が感染して組のメンバーや、訪問先に迷惑をかけるのではないか、と心配が尽きなかったという。場合によっては映像などを使ってリモートでのお祓いも検討しなければならないのではないか、通信環境をどのように確保するか、なども悩んだという。しかし、長年親交のある福井の人々から電話やメールなどで、いつもどおり待っているという連絡が来たとき、やはり伊勢大神楽は現地に直接足を運ぶことにこそ、その存在価値があると思ったという。福井県は比較的早い時期にコロナ対策を始めたため、その時点で感染者数が少なかったことも神楽にとって幸いだった。結局10日遅れで福井での回檀が始まった。

総舞に関しては、福井でもやはり軒並み中止が決まっていたが、越前市武生の大宝寺では開催されることになった。6月中旬のこの時期、まだ勤務先の出張自粛が解けていなかった私は、体調に気を付けながら個人として訪問することにした。

この大宝寺は、伊勢大神楽と特別な関係である。というのも、大正4年6月に山本源太夫家の親方をしていた神楽師の山本喜一郎がこの地で客死し、懇意にしていた地元の有志が大宝寺に手厚く葬り、墓が建てられたという歴史があるのだ。そのため、大宝寺での総舞はいわば山本源太夫組の先祖供養であり、地域の人々との関係性を次世代につなげるための場でもある。これを中止にするのは良くないので、マスクをしてディスタンスを取って開催しよう、と住職や檀家総代の判断で決まったという。また、寺にとってはその日が永代供養の法要の日でもあり、檀家の参加を促すためにも大神楽の総舞を行いたいという思いもあった。獅子がマスクを着けて舞うポスターが貼りだされ、町の人々にも総舞の開催が知らされた。

写真5. 住職制作の総舞ポスター、福井県越前市武生大宝寺、2020年6月(筆者撮影)

当日は墓前での獅子舞に続いて、総舞が奉納された。80人以上の観客が本堂の縁側に座って観覧した。神楽師たちにとっても、3月以来の総舞である。バチを高く放って受け取る曲芸がなかなか成功しなかったり、道化のチャリ師による漫才の受け答えも少々ぎこちなく、「何しろ久しぶりでナァ」と苦笑いしていたが、観客は温かく見守った。総舞が終わった後、主催した大宝寺住職、観客、神楽師たちの間には、その時間の尊さを噛みしめるような余韻が残った。ちなみに、山本源太夫組では、そのあと10月まで、大きな総舞は全て中止になったので、今振り返るとこれが本当に数少ない2020年の総舞の1回となった。

写真6. 山本源太夫組による久々の総舞、福井県越前市武生大宝寺、2020年6月(筆者撮影)

マスク問題
「マスク着用は当たり前」という世の中において、伊勢大神楽だけなく、多くの日本の芸能団体が直面する問題がある。それは、マスクと笛のバッティングだ。マスクをしていると笛が吹けない。笛を吹こうと思ったらマスクを外さなければならない。笛がなければ舞はできない。致命的である。また、獅子頭や他の面をかぶるときにもマスクが邪魔になる。二重に着けられないこともないが、息が苦しい。そのうえ、夏は30度を超す野外で長時間歩いたり舞ったりしなければならないため、熱中症のおそれがある。暑さが多少和らいだ9月初旬、私は岡山県と香川県の沿岸地域で回檀に同行したが、マスクをしていると顔面の体温がどんどん上昇し、とても着けていられないことがよくわかった。その辺りは他の芸能団体も同様のことと想像されるが、他人が近くにいないときは外すなどして、「なんとかやりくりする」というのが現状だった。

さらに、調査に出てみて気づいたことがある。神楽を迎える人々の大多数は高齢者なのだが、感染への恐怖などを口にしながらも、マスクを着けていない人が少なくないということであった。そういったお年寄りたちは、ほとんど町へは出かけておらず、家や近所で家族や気心知れた隣人とすごすときにマスクをしないのと同じような感覚で、毎年馴染の神楽師たちを迎えているように見えた。都会の切迫感と田舎のおおらかさが対照的に感じられたのと同時に、高齢者が感染すると死に至る可能性が高いことが繰り返し報道されているなかで、調査者としてそこに立っている自分自身の責任の重さも感じざるを得なかった。しかも、お年寄りはこちらがマスクをしていると、質問を聞き取れないことが多く、結局大声を出したり、マスクを浮かせて話すことになり、罪悪感にかられることも多々あった。一方で、今この人たちの話を書き残しておかないと、地域の歴史や風習について永遠にわからなくなることがある。来年会えるかどうかわからないから、どうにか対策をとってでも、話を聞いておきたいというのが正直な気持ちであった。しかし、こちらのそうした思いを優先して、相手に迷惑をかけてしまう可能性も否めず、非常に悩ましい問題であった。

獅子の頭噛み問題
他にも、コロナ禍で浮き彫りになった、伊勢大神楽のエッセンシャルな要素のひとつが、「頭噛み」であった。強い力を持つ獅子に頭を噛んでもらうことによって、悪い気を噛み切り、祓ってもらうという風習は伊勢大神楽だけでなく全国に広く見られる。こどもは噛んでもらうと病気にならず、賢く育つと信じられている。また、お年寄りは腰や肩などの痛みをとってもらおうと具体的な体の部位を差し出し、噛み終わるとスッキリした明るい表情になる。

写真7. 獅子の頭噛み、大阪府松原市、2020年10月(筆者撮影)

ソーシャルディスタンスの重要性が叫ばれる中、物理的に近づかなければ行えない「頭噛み」をどうするかは、神楽師たちにとって大きな問題である。かつては、一般庶民にとって、獅子や神楽師たちは神聖で、畏れ多く有難い存在であり、その獅子に噛んでもらうことによって、疫病を含むすべての悪事災難が遠ざけられるということが堅く信じられてきた。今ではその神楽師も人間であり、ウイルスに感染することもあり得るという事実を、神楽師たちはもちろんのこと、地域の人々も十分理解している。しかし、人々は神楽師に接するとき、町や駅などですれ違う「他人」と接するときとは全く異なる安心感をもっていることが見受けられる。いまどき、電車のなかで他人が30㎝以内にまで顔を近づけてきたらただならぬ嫌悪感と脅威を覚えるだろう。しかし、多くの回檀先の人々にとって獅子の頭噛みは全く別物だととらえられているようである。神楽師にとっては有難いようで、悩ましい問題だといえる。組によっては、獅子頭を消毒液で拭いてからなるべく短時間で噛むなどの工夫をしているそうだ。

伊勢大神楽はデイサービスなど老人介護施設でも演舞を依頼されることが多いのだが、そこでもやはり頭噛みが大切にされている。認知症のある人たちも、噛んでもらうと、小さい頃の思い出を語り始めたり、これで寿命が延びたと口々に言って喜ぶ。老人ホームでの演舞自体中止になったところが多かったが、野外での演舞のみ行い、頭噛みはなし、というケースも見られた。来年また噛んでもらいましょうね、と介護士さんたちが声がけをする姿を見て、果たしてそれが叶うのかどうかと思うと、煮え切らない思いが残った。

また、本来ならば幼稚園や保育園でも獅子舞を迎えることを毎年恒例の行事としているところが少なくない。地方新聞やローカルテレビでも季節のニュースに取り上げられることが多い光景である。昔はこどもたちは家で獅子舞を迎えていたが、今は親も働きに出ているうえ、新興住宅も増えて伊勢大神楽の存在を知らない人も増えている。そのため、幼稚園・保育園で演舞を披露することは、伊勢大神楽の潜在的な支持層を確保するためには、案外重要な仕事だ、と神楽師たちは語る。いつか彼らが大人になって子育てをし、神楽が来る村に住んだ時、むかし幼稚園で頭を噛んでもらったことを思い出して迎えてほしい、という。2020年3月以降は幼稚園・保育園での演舞もやはり中止になったところが多く、演舞をしたとしても頭噛みは中止というところが多い。物心ついてから小学校に上がる前のこどもたちにとって、獅子の頭噛み体験は「人間の力のおよばない存在」を知り、豊かな想像力を育むのに非常に大きな役割を担っている。早くその機会が戻って来ることを願うばかりだ。

年が明けて、2021年1月に滋賀県大津市を廻る山本勘太夫組に同行したところ、頭噛みについての新たなアイディアが試行されていることを知った。大津は京都に距離が近く、人口が非常に多い都市部で、若い家庭も多い。さらに正月は家族総出で迎える家も多いので、感染の可能性が極めて高い。そのため頭噛みは全面的に中止し、かわりに厄除けの人形ひとがたや獅子のお守りを噛んでこれを配ることを試してみるという。山本勘太夫組の神楽師たちは、何もしないよりは、噛んでもらっている瞬間の「感動」に代わる何かを提供したいと話した。

写真8. 頭の代わりに人形を噛む様子、滋賀県大津市、2021年1月(筆者撮影)

(後編に続く)

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