半島マレーシアの先住民オラン・アスリの村から日本へ:マレーシアの新型コロナ感染爆発と移動制限令

2020年6月24日

河合 文(AA研、文化人類学)

オラン・アスリ(先住民)バテッの村での調査
私はマレーシア半島部の先住民、オラン・アスリのバテッという人びとについて人類学的調査を行ってきた。彼らは自然公園近くに設置された村での生活と、森でのキャンプ生活を組み合わせて暮らしている。2020年3月に私がクランタン州のフィールドに入ったのは、ちょうど皆が森のキャンプから村に帰ってきた時期で、日中はインタビューをしながら川で貝や魚を獲り、夕方は近くの売店へ買い出しの送迎をするというような日が続き、あと2日で村を離れるという夜だった。

マレーシアの感染爆発と移動制限令
いつものように、売店の椅子に座って皆の買い物が終わるのを待っていた。出先から帰ってきたばかりの店の女性が、「コロナウィルスで大変だ」と言っていた。彼女が言うには、感染症の流行をくい止めるために政府が移動制限令(MCO: Movement Control Order)を発令し、国境は封鎖され、電気も水道も停止してしまうとのことだった。バテッの村では薪を使っているし、水浴びも川でするし、電気も通じていないから大して影響はないかもしれない。けれど私は急いで日本に帰らなければならないと思った。

テレビには、首相に任命されたばかりのムヒディン氏が映っていた。電気が止まるとは言っていなかったが、移動制限をするというのは確からしい。急いでスマートフォンで検索する。どうやら2月27日~3月1日にクアラルンプールのモスクで開催された集会で感染が広がったようだった。参加者は1万6000人にのぼり、密集して長時間を共に過ごし、飲食も共にしたという。そして今日は3月16日。集会の参加者が各地に戻って、そこで新たな感染が起きていてもおかしくない。1日でも早く帰国しなければと思ったと同時に、バテッの皆がこの状況を無事に乗り切れるか不安になった。

情報収集場所の売店(2020年3⽉14⽇河合文撮影)

感染症とバテッ
この原稿を書いている今からちょうど1年前の2019年5月、私が調査する村では感染症の被害がでていた。麻疹が流行し、1ケ月で15人が死亡、村人200名のほぼ全員が医療施設に収容されたのだった。これほど感染が広がったのは、彼らが自宅(キャンプ)で出産し、あまり病院に行かず、乳幼児期にうけるはずの予防接種を受けていなかったことが大きい。外部より持ち込まれた麻疹にかかった人が気づかないままキャンプに分散したため、奥地で感染が広がってしまった。

そして森のキャンプから村まで筏で移動し、そこから車を手配して病院に辿り着く前に、多くの人が手遅れとなってしまった。またバテッ語を日常語とする彼らと、マレー語を話す医師とではコミュニケーションをとるのが難しく、麻疹と診断されるまでに数週間を要したため適切な措置がとられるのが遅れたのだった。

もし誰かがコロナウィルスに感染したら大変なことになるから、外部の人と会わないよう森に移動した方がいい、と近くにいたバテッに言うと、彼らも同じように考えているようだった。バテッ語には「プラヤ」という語があり、死者や病人がでた時にそこから逃げることを意味する。村に病人はでていなかったが、彼らは森へ逃げることに、私は日本に帰ることになった。

村から町へ
翌3月17日の朝、皆は森に持っていく食料(米など)を買い出しに行くことに、私は彼らを店に送りながら空港のある町へ移動することになっていた。けれども出発前、店主が仕入れに出かけたという電話が入った。在庫が底をつきそうなうえ、移動制限令によって物流が止まるのではと、大急ぎで出ていったという。家の前にしゃがみこんで話し合っていたバテッの皆は、店主が戻った頃にどうにか買い出しに行くから先に帰れといって、並んで見送ってくれた。ふだん彼らは見送りなんぞ特別なことはしない。いつもは陽気な皆の顔が違ってみえ、これまでで一番不安な別れだった。

町のホテルに着いて、ナシアヤム(アジア風チキンライス)を頬張りながらテレビをつけると、「本日夜12時を過ぎて3月18日になった時点より移動制限が始まるため、それより後に州をまたいで移動する人は警察へ届け出るように」とアナウンスされていた。驚いて残りの米をかき込み、バテッの友達と診療所に行った時にもらった「Singapore」と印刷されたサージカルマスクをつけて、警察署へ行った。入口には人だかりができていて、前に立った警官が紙を掲げて「我々は何も知らされていないから、この番号に電話してくれ」と繰り返していた。

普段の⽣活の様⼦(2020年3⽉13⽇河合文撮影)

混乱する政府の対応
その場で何度も電話をかけるがつながらない。紙を掲げた警官に近づいて、日本から来たのだがどうしたらいいかと泣きついてみる。すると彼は、おおー日本から来たのかと言いながら、なぜか周りの人に「彼女は日本から来たんだよ」と私を紹介し始める。マレーシアには親日家が多い。そして彼は緊急事態という言葉とは程遠い雰囲気の、おおらかそうな人だ。けっきょく彼は私と世間話をした後、「少し時間がたってから、もう一度電話してみてくれ」と告げただけだった。

すっきりしない気持ちでホテルに戻り、オンラインでフライト変更を試みるが、やはり繋がらない。夜中で航空会社のオフィスは閉じている。いろいろな不安をぶちまけるようにマレーシアの友人に相談すると、連邦警察のアプリをスマートフォンに入れておくと役に立つかもと紹介され、とりあえずダウンロードしてみる。もし空港で警官に止められても、このアプリと、さっき知らされた番号を見せれば、情けをかけてくれるかもしれないと、希望を抱く。

そのためには、あるていど綺麗な恰好をしていなければと、薄汚れた衣類を持ってコインランドリーへはしる。村での洗濯は、濁った川水で手洗いというのが精いっぱいだったからだ。コインランドリーのベンチに座ってスマートフォンをみていると、警察への移動申請義務が取り下げられたという速報をみつける。マレーシア政府も混乱しているのだと、少しほっとする。気持ちが落ち着いたところで村の皆に電話をするが、誰とも繋がらない。彼らはもう森の奥へ移動したのだろうと、また少しほっとしたのだった。

日本へのフライト
翌日の3月18日は、問題なく飛行機でクアラルンプールに移動できた。クアラルンプール空港に到着してすぐ、フライト変更カウンターを探す。フライト変更手続きの窓口は5つしかなく、その周りには人があふれていた。人が多すぎてどこが列か分からないが、とりあえず後ろの方に位置を確保する。その私の後ろに、大柄の男性が並んだ。

その後、約5時間、ボルネオ島サラワクから出稼ぎにきたという、彼の話を聞き続けるはめになった。適当に聞き流して前をむいても、すぐに彼が後ろから話しかけてきて、サラワクへ無事に帰れるか、フライト変更の追加料金を払えるか心配だという話を再開する。疲れた足を曲げ伸ばししながら、どうにか持ちこたえ、順番が回ってきてやっと解放されたとカウンターに近づくと、スタッフがスマートフォン2台とキーボードを操り、手際よくフライト変更してくれた。

翌3月19日の空港は、昨日と違ってスタッフ全員がビニル手袋とマスクをしていた。近くの香港行のカウンターには、ビニルのレインウェアとマスクを身につけ、スーツケースをビニルで覆った家族連れがいた。このところ香港からの移住者が増加している。民主化デモによる混乱から逃れる移住先として、教育環境の整ったマレーシアが選ばれるのだという。完全装備の家族連れをみて、私は自分のマスク姿を心もとなく感じた。

機内は非常にすいていて、日本到着後も特別な手続きなく入国できた。私は普段とほぼ変わりない日本の様子をみて、油断しすぎているような気がした。この当時は、まだオリンピックも開催される予定だった。

マレーシアの感染拡大防止策
マレーシアの移動制限は日増しに厳しくなり、やはり警察に届け出ないと移動できなくなった。さらに外出には外出許可書が必要とされ、その許可書の発行は1世帯1人のみ、移動も家から10km以内という状況が2020年5月12日まで続いた。要請に従わない場合は罰金か6ヵ月以上の禁固刑、もしくは両方に課せられると、保健省のポスターには手錠のイラストが描かれたものもあった。

徹底的に感染者を見つけ出し隔離する方針をとったマレーシア保健省は、感染が疑われる人を訪問してまわったが、検査を受けるのが嫌だと逃走する人もいた。ホテルが隔離施設に充てられ、コンベンションセンターも急遽改築されて隔離施設となった。リタイアした元看護師らが復帰し、こうした医療体制を支えた。厳しい移動制限によって5月半ば時点で状況は収束しつつあるが、外国人労働者の間で感染が続いている。こうした人びとは労働・居住環境が良くなく、感染が疑われたとしても、様々な理由から申告するのが難しいのだろう。隔離施設に入った後、そこから逃げだす人もいたという。

経済対策と「ドラえもん作戦」
マレーシア政府は国内の感染が広がる前の2020年2月末、コロナショックによって落ち込んだ経済の刺激策を発表していた。そして3月末には、福祉・生活保障、企業への支援(従業員への給与補助等)として支出を追加し、収入の少ない国民に補助金が支給されることとなった。また大手銀行は、2月11日という早い時期に住宅ローンの支払い猶予措置を発表し、他の銀行もそれに続いた。電気・水道料金については、移動制限中の使用量の請求が停止され、同期間の使用料が半額~2%の割引となることが約束された。

女性家族開発省は、移動制限期間中に家庭内暴力が生じるのを懸念して、「ドラえもん作戦」を発表した。女性は家でも化粧をし、恥ずかしがらず、にこやかに、ドラえもんのように夫に話しかけましょうというものだ。市民の反発をうけてすぐ撤回されたが、なぜドラえもんが選ばれたのかは謎である。またマレーシアでは、風邪をひいたら白湯を沢山飲むと良いというが、保健相は、コロナを無駄に恐れる必要はない、白湯を沢山飲めば大丈夫だというような話をして、これも批判されていた。

人びとの暮らし
外食が一般的なうえにフードデリバリーサービスも普及しているマレーシアでは、多くの人がそうしたサービスを利用したり、WhatsAppというチャットアプリにお気に入りのレストランを登録しておき、そこにとどく「本日のメニュー」から食事を注文したりしていた。また大手通信会社はパケットの無料サービスを行い、SNS上では、パソコン画面にご馳走を映し出し、それを見ながらカップ麺をすする動画などが出回っていた。

バテッ以外のオラン・アスリ(半島マレーシアの先住民)はというと、昨年のバテッの麻疹の流行が知れ渡っていたこともあり、村の入り口に障害物を置いて外部者が入れないようにする村もあった。森に逃げたバテッの皆は2020年4月半ばには村に戻ってきたようで、森で大きな魚を獲って楽しんだ写真が送られてきた。彼らはラタンなど国際市場に供給される森林産物の採集によって現金を得ている。今後の世界経済の行方は、彼らの生活にも影響を及ぼすかもしれない。

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