調査地紹介:マハレ山塊国立公園
私は博士課程の大学院生で、タンザニア西部のタンガニーカ湖畔にあるマハレ山塊国立公園でアカオザルというサルの生態の研究をしている。アカオザルはオレンジ色で長い尾を持ち、木の上で生活をするサルである。ニホンザルよりも一回り小さく、まるでリスのように木々の間を走り回る。
マハレはチンパンジーの長期調査地であり、国立公園内に研究者の滞在する小屋(以下キャンプと呼ぶ)があって私たちはそこで生活する。少し離れた場所には現地調査助手たちの宿泊所があり、私たち研究者は毎朝調査助手と共に調査に出かける。
今回、私は博士研究の調査で2019年の9月から2020年の6月までのマハレ滞在を予定していたが、新型コロナウイルスの問題で急遽3月末に帰国することとなった。ここでは、日本に少し遅れてアフリカ諸国でもコロナが問題になり始めた初期に、日本に帰国することとなった経緯と体験を記録する。
マハレの通信環境
マハレには研究者が生活するキャンプから20分ほど歩いた場所に観光客が宿泊できる建物(以下、観光キャンプと呼ぶ)があり、そこではインターネットを使うことができる。私は1~2週に1度くらいはそこでメールを読むなどして外部の情報を仕入れていたが、調査助手たちはその近くで生活しているので、ほぼ毎日調査後にそこでスマートフォンを見たり電話を掛けたりしている。そのため、日本からの緊急の連絡は調査助手経由で私に伝えられることがある。観光キャンプ付近では観光客やスタッフ、国立公園局の職員などと会うこともあるが、普段の生活で調査助手たち以外の人と会って話すことはあまりない。
3月初旬
2020年2月末の時点で、キャンプには私と先輩研究者(以下Mさん)の2人が滞在していた。2月29日にはさらにもう1人、私の指導教員のNさんがマハレに入ったため、しばらく日本人3人のにぎやかな生活を送っていた。この時点でヨーロッパでの新型コロナウイルスの感染も確認されてはいたが、主には中国での感染が問題であったらしい。Nさん曰く、その時点ではタンザニアへの渡航に影響はなかったとのことだった。調査助手たちからも新型コロナウイルスの話題は全く聞かなかった。
3月16日、17日:タンザニア国内で初の感染者
16日の朝、Mさんが調査期間を終え、帰国に向けてマハレを出発した。私が調査後に観光キャンプまでメールを読みに行くと、在タンザニア日本大使館からタンザニア国内で初めての感染者が確認されたというメールが入っていた。
翌日には、感染者が出たという情報が調査助手や国立公園局の職員たちの間にも広まっていて、新型コロナウイルスの話題で持ち切りとなっていた。国立公園局の職員は、おそらく支給されたのであろう医療用マスクをし、「コロナが危ないから今は握手しちゃだめなんだよ!」という話をしていた。しかし、そこまで深刻そうな感じではなかった。
私も「ついにタンザニアにも来たか~」とは思ったが、感染者が出た地域とマハレが離れていることもあり、この時点でも「私が帰国する6月には収まってたらいいなー。それまでは人の少ないマハレに籠ってた方が安全だろうなー」くらいにしか思っていなかった。
3月19日:急転直下、調査の中断・帰国の決定
この日、私は普段通り調査に出かけたが、調査上の問題でたまたま一度キャンプに戻った。その時にキャンプの仕事をしてくれていた調査助手経由で、日本にいた先輩研究者(以下Iさん)からの連絡を受けた。内容は、「カメルーンが突然国境を封鎖し、帰れなくなった日本人もいる。タンザニアもいつどうなるかわからないから(もともと21日にマハレを出る予定だった)Nさんと一緒に清家も帰国した方がよいだろう」というものだった。私は急ぎチンパンジーの調査中だったNさんを探し、このことを伝えた。残念ではあったが、急遽調査を中断し、帰国することを決定した。
マハレは都市部から離れた場所なので、すぐに帰国できるわけではない。翌日1日かけて帰国の準備をして21日の朝にマハレを出ると、最速で乗れる国際線は23日発の便になる。在タンザニア日本大使館からの情報では、この時点でタンザニア国内での感染者はまだ6人で、タンザニア政府も特別何か移動の規制などをするという発表はしていなかった。しかし、私の利用する予定のカタール航空はこの日、26日以降の全便欠航を決定していた。大使館関係者や企業関係者も次々と帰国し始めていたらしい。
この時、16日にマハレを出たMさんがまだタンザニアに滞在中だった。Mさんは、Iさんからの連絡を受け、私がメールを確認するのが遅れる可能性を見越して、先回りして私の帰国便の手配をしてくださっていた。そのおかげで私は大変スムーズに帰国の準備を進めることができたし、無事に帰国便のチケットを手に入れることができた。しかし、もし一歩遅ければ、帰国便が取れないという可能性もあっただろう。
3月21日:マハレを出て、キゴマへ
帰国の準備を終え、朝にNさんと二人でマハレを出発した。マハレから帰るには、まずは国内線の飛行機に乗るためにキゴマというタンザニア西部の地方都市までボートと車で移動する。途中に大きな川があり、大きな渡し船で車や人を運ぶのだが、そこに白衣を着た人がいて検温が行われていた。手を洗うための消毒液も設置されていて、そこで手を洗うように言われた。二人とも健康だったので問題なく通過したが、もし熱があったらその場で足止めされていたのだろうか……。
キゴマでは、市場のいたるところに手洗い場(石鹸+水の入ったタンク)が設置されていた。アジア人である私は、コロナヘイトで暴力とか振るわれたらどうしよう、という不安があったが、時々からかうように「手を洗いなよ」と声を掛けられる程度で、特に嫌な思いをすることはなかった。むしろキゴマの人たちは「日本人か?今から帰るのか?飛行機あるの?大丈夫?日本はコロナで危ないから帰るのはやめたら?」と心配してくれるなど、温かく接してくれた。ホテルでも、特別変わったことはなかった。タンザニア国内でも徐々に感染者が増えている状況だったが、キゴマでは感染者が出ていなかったためか、そこまでコロナに対する危機感はなかったように思う。
一方で、この日タンザニア東海岸のザンジバルでは、ザンジバル革命政府によってインバウンド便の受け入れ停止が行われ、島内のホテル500軒近くの閉鎖が決定されたらしい。ザンジバルは外国人にも人気の観光地で、既に数人の感染者が報告されていた。なお、ザンジバルとは、タンザニア本土の東に位置するザンジバル諸島の地域名で、タンザニアに属するがザンジバル革命政府によって自治が行われている。
3月22日:キゴマを出て、ダルエスサラームへ
キゴマの空港では検温が行われていただけだった。到着地のダルエスサラームの空港にはマスクを着けている人が数人いたが、私を含めてほとんどの人はマスクも着けず、特に変わった様子はなかった。次は、国際線の空港のあるダルエスサラームという都市に国内線で移動する。ダルエスサラームはタンザニアで最も大きい都市である。
ダルエスサラームについてから時間があったので、ショッピングモールに行って少し買い物をしたり、昼食を食べたりした。そこは海辺のきれいなモールで、普段は欧米人が多くいる印象があったのだが、この日は欧米人がほとんどおらず、アラブ系と思われる人が少しいる程度だった。観光客がいなくなっていたのだろう。
ホテルには私たち二人のほかに日本人が数人宿泊していて、話をきくとJICA関係の方々ということだった。JICAの方でも滞在者に帰国指示が出たらしく、私が話をきいた方によると、JICA関連でタンザニアに残っているほぼ最後の集団だということだった。
この日、タンザニア大統領から、新型コロナウイルス対策措置についての発表が行われ、タンザニア入国者に14日間の隔離と不要不急の渡航自粛命令が出された。アフリカでは国境封鎖という措置をとっていた国もいくつかあったが、タンザニアの対策はそこまで厳しいものではなく、帰国が目前だった私としては無事帰国できそうで一安心した。実は、Nさんの乗る予定だったエミレーツ航空の便は直前で欠航やスケジュールの変更が相次いで大変だったのだが、私の乗るカタール便は予定通り運航していた。
この時点でのタンザニアの国内感染者は12名となっていた。
3月23日:日本へ
最後に、タンザニアへの渡航や滞在の際にお世話になっている現地旅行会社のオフィスに挨拶に行き、夕方の便でタンザニアを出た。最近新しくできたターミナルを初めて利用したので、通常の様子を知らないのだが、空港のカウンターは私の乗るカタール航空しか開いておらず、空港内は閑散としていた。ただ、ここでもマスクをしている人はほとんどおらず、新型コロナウイルスに対する危機感はそこまで感じられなかった。
ここからカタールで乗り継いで24日に成田空港へと帰ってきたが、特に検疫での厳しいチェックもなく普通に帰国した。ヨーロッパ帰りの人は申告するようにと掲示があったが、アフリカ帰りは素通りだった。アフリカではまだ感染が拡大していなかったからだろう。
最後に
今回、私は新型コロナウイルスの影響で調査を中止し、急遽帰国することとなった。私の帰国のために迅速に対応して下さった方々のお陰で、特に大きな問題もなくスムーズに帰国することができた。今振り返れば、もし数日行動が遅ければ簡単には帰国できない事態に陥っていたかもしれない。他国の国境封鎖や、国際線の運航停止など、数日のうちにみるみる状況が変わっていった。しかし、帰国を決定した時点でも、実は私は世界がどういう状況なのかよくわかっていなかった。フィールドワーク中は、必要最低限の情報は入るようにはしているものの、それでも日本にいる時に比べれば情報は限られる。このため、世間の人々がどのように新型コロナを捉えているかといったことを肌で感じることは難しい。
さらに出国時の町の様子もそんなに変わりはなかったし、新型コロナウイルスに対する危機感もあまり感じられなかった。そのため、私は日本に帰ってきて、様々なニュースやネット情報を見るまで事態の深刻さをそこまで感じておらず、よくわからないままにとりあえず急いで帰国したというのが正直なところだ。
2020年7月31日現在、既にタンザニア政府は国際旅客便の受け入れを再開している。しかし、調査地付近の村では医療体制が整っていないため、もし感染が広まれば死者がたくさん出る可能性がある。未だ情報が錯綜している新型コロナウイルスであるが、とにかく向こうで感染が拡大しないこと、調査中お世話になっている調査助手や現地の人々とまた元気に再会できることを切に願う。
また、タンザニアには国立公園が多くあり、野生動物を見に行くサファリツアーはタンザニア観光の目玉の一つである。マハレにも、普段はチンパンジーをはじめとした珍しい動物たちを見るために様々な観光客が訪れていた。新型コロナウイルスの動物への感染の可能性についてはまだよくわかっていないが、人から野生動物への感染についても今後気を付けていく必要があるだろう。