新型コロナウイルス発生下でのイスタンブル留学記

2021年5月19日

岩田 和馬(東京外国語大学総合国際学研究科博士後期課程、歴史学、オスマン帝国史、都市史)

はじめに
筆者は、18世紀イスタンブルの船着場における社会経済構造分析をテーマに、そこで活動する同業組合の研究を行っている。このため、主にイスタンブルの文書館で閲覧可能な史料にアクセスすることを目的として、2020年11月より2年間の予定でトルコ共和国イスタンブルのボアジチ大学に留学している。もともとは2020年の夏に渡航するという予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大を受けてトルコが一時ビザの発給を停止したことなどを受けて大幅に遅延した。渡航後も外出禁止令や、大学のリモート化、図書館の利用制限などの影響を受け、留学以前に予定していた研究計画に大幅な変更を加える必要があると現在は考えている。

コロナ下のトルコ
トルコでは、2020年3月に公式に感染者が確認されると、65歳以上の人々に対する外出禁止令が出された。感染が拡大するにつれて適応範囲は拡大されていった。夏になると一度外出禁止令は取り下げられたものの、新規感染者数の増加のために11月20日より再び午後9時から午前5時までの外出禁止令と飲食店の店内営業禁止が発令された。さらにその2週間後には週末の外出が禁止された。この間にはトルコ政府の発表する新規感染者数には無症状患者が含まれていないことが発表され、大きな波紋を呼ぶ事態も発生した。外出禁止令は新規感染者数の変遷とともに緩和と規制が繰り返されており、2021年4月現在はトルコ全土で平日の午後7時―午前5時及び週末の外出が禁止されている状況にある。

新型コロナウイルス流行後も人混みが減らないイスティクラル通り。
入り口で警察がバリケードを張り人の流れを制限しようとしているが
あまり機能していない。(撮影者:岩田和馬 2021年3月12日)

11月21日時点でのトルコ全土における公式の新規感染者数は5,500人ほどであったが、数日すると無症状患者の感染者数も反映されるようになり、1日あたりの新規感染者数は3万人ほどに爆発的に増加した。その後12月まで新規感染者数は継続して増加し、12月8日には最大の33,198人となった。外出禁止令の効果もあり、この日を境に新規感染者数は減少傾向に転じ、翌年の1月後半には1日あたり5-6,000人にまで減じた。3月になると政府は土曜日の外出禁止令と飲食店の店内営業を解禁したが、人の移動が増加したことで4月現在では新規感染者数が最大であった12月を超えて1日あたり50,000人以上を記録し続けている。

さらに追い討ちをかけるのが、ここ数年トルコを苛み続けているリラ価格の下落である。筆者が学部時代に留学していた2013-2014年のリラ―円のレートは、1リラ50円前後であったが、今回渡航した2020年11月後半には約11円、その後やや回復し約15円のレートで推移していた。ここ数年の継続的なリラの下落はトルコにおける物価上昇を生み出し、6年前と比べるといずれの物品も額面で価格が2~3倍に上昇した。外貨収入のある外国人という立場にある筆者には、全体的に以前よりも少々安くなったと感じられるが、特に食料品価格や家賃の継続的な値上げは着実にトルコ国民の生活を圧迫し続けている。そこに発生した新型コロナウイルス流行は多数の商工業者や労働者の経済状況をさらに悪化させ、かなりの不満が人々には溜まっていたと言われている。こうした不満と経済的影響を考慮したトルコ政府は3月に入ると土曜日の外出禁止令解除及び、学校での対面授業の一部解禁、飲食店の店内営業を通常の5割の稼働率で認めることを決定した。

しかしながら、3月20日に女性の権利を保障するイスタンブル条約からの脱退とトルコ中央銀行総裁の解任を決定したことで、週明けにはリラ価格が再び下落する結果となり、トルコの通貨安状態は今しばらく継続しそうな状況である。現在トルコでは誰と話しても、政治スタンスにかかわらずほぼ確実と言っていいほどリラ安とトルコの経済状況に関する話題が出る。学部時代から付き合いのあった友人は殆どがトルコ国外で就職してしまい、いまだトルコに残る友人もかなりの数が就職や留学などの方法で海外に転出することを模索している。今のところは新型コロナウイルス感染拡大を受けていずれも難航しているようであるが、新型コロナウイルス感染の終息後に若者の海外への流出が加速するのではないかと考えられる。

コロナ下でのイスタンブルの生活
筆者が今回渡航して驚かされたのは、宅配サービスの充実ぶりである。以前からフードデリバリーは利用されていたものの、新型コロナウイルス感染拡大とそれに伴う外出禁止令を契機に爆発的に広がったようで、現在の宅配サービスの充実ぶりには目を見張るものがある。これらのサービスに用いられるスマートフォンアプリケーションは、レストランからの料理のみならず、日用品や食品の宅配にも対応しており、人通りが減る夜8時以降になると通りを行き交うのはほとんどが宅配業者のバイクとなることからもその利用率の高さがうかがえる。

宅配弁当とおまけでついてきたマスクとインスタントコーヒー。
厳しい状況の中で顧客を確保しようとする店側の努力が見える。
(撮影者:岩田和馬 2021年3月27日)

とはいえ、二度の外出禁止令は特に飲食業界に大きな打撃を与えており、廃業した飲食店も多い。こうした状況の中でもしばしば新規開店する飲食店を見かけるが、いずれも宅配や持ち帰りが比較的容易なハンバーガー屋やケバブ屋などで、店内での飲食行為に付加価値を与えるようなタイプのレストランやバーなどは苦境を強いられているようであり、飲食業界はかなり大きな変化を経験しているのではないかと思われる。エミノニュなどの外国人観光客の多い地区では闇営業するカフェも存在しており、筆者も観光地付近を歩いていた時に何度か客引きに声をかけられた。

3月初めに再び店内営業が解禁されると、長い間外食を我慢していた人々がこぞってレストランやカフェに繰り出し、特に週末にはまるで新型コロナウイルスが克服されたか、最初から存在していなかったかのような光景が広がる。通常の5割以下の稼働率という規制が設けられているにもかかわらず、そもそも席が減らされている様子のない店や、元から利用者の少ない「店内」の席数を大幅に減らし、代わりにテラス席の数を増やして営業しているようなところもあり、政府によって設定されている条件はあまり徹底されていない印象である。

人々の行動を見てみると、スプレー式の消毒などに使われる香料入りのアルコールであるコロンヤが外出時の必需品になっていたり、罰則が課されているとはいえほとんどの人が外出の際にはきちんとマスクをつけていたりするなど、感染予防への意識は高くなったように見える。しかしながら一方で、通勤通学時にかなり混雑する公共交通機関で社会的距離を保つために利用禁止の文言が書かれた座席にも平気で座る人や、外出できない週末にはわざわざ別の都市に住む家族に会いに行く人も多く、こうした行動が感染拡大へとつながっているように思われる。特にここ1ヶ月ほどはワクチン接種が始まり外出規制も緩和されたため、以前ほどの緊張感は見られず人の移動が目に見えて増加している。この他にも現与党である公正発展党(Adalet ve Kalkınma Partisi)が全国の支持者を集めて大規模な集会を開くなど、これまでの努力を無に帰してしまいかねない行動が大小至るところで見られる。

意外な一面
もう一つ驚いたことは、今回の渡航で筆者が差別的な体験をあまり経験していないことである。他地域に目を向けると、新型コロナウイルス感染拡大後に様々な国や地域で東アジア人に対する差別やヘイトクライムが発生しているというニュースや在住者の体験談が数多く見られる。トルコでもまた、新型コロナウイルス流行が始まった段階では東アジア人というだけで嫌味を言われたりすることがよくあったという。筆者も少なくとも道端で「コロナ」と言われるくらいのことはあるのだろうと覚悟をしていた。しかしながら意外にも現在のところ、予想していたような嫌がらせにはほとんど遭遇しておらず拍子抜けしている。そもそも外出機会が少ないことや、イスタンブルの中でもアジア人も含めて外国人が多い地区に居住していること、コミュニケーションをとる相手の多くが外国人慣れしている学生が中心であることがその原因であると考えられるが、それでも他地区へ行った際や買い物の際にも特にこれといった不愉快な目に遭わずに済んでいる。

とはいえこうした差別が存在していないわけではなく、他のトルコ在住者の差別体験などを聞くと、聞こえるようにわざと嫌味を言われることや街で口を押さえて逃げられるような事態に現在も稀に遭遇するとのことがあるという。筆者の場合、一度だけ離れた場所から罵声を浴びせて中指を立てる仕草をしてくる若い女性に遭遇したことがあったが、これくらいの頻度であれば平時でもあり得るので、新型コロナウイルス流行を受けての差別感情の高まりは他の地域に比べるとあまり無いように感じられる。

コロナ下での研究活動
渡航前からある程度は想定していたものの、新型コロナウイルス下での研究活動はやはりそれなりの制限を受けることとなった。筆者は史料調査のためにイスタンブルの大統領府オスマン文書館とイスラーム研究センターを利用しているが、いずれも利用時間や利用人数の制限を行っており、思ったように史料収集が進んでいない状況である。

筆者は主に、上述のイスラーム研究センターでオスマン帝国時代の法廷台帳を収集している。イスラーム研究センターの図書館は通常午前8時から午後11時まで開館しており、法廷台帳を閲覧することができるパソコンは8台稼働している。現在は、感染予防対策のために利用者の制限を行っており、予約制をとっている。一人当たりの予約上限は1週間あたり半日分6回であるが、利用希望者が多く、実際は2回分しか取ることができない。社会的距離を確保するために法廷台帳閲覧用のパソコンは4台に減らされているが、利用者が制限されているためむしろ以前のように取り合いになることはなくなった。一方、大統領府オスマン文書館も週末の外出禁止令を受けて土曜日は閉館しており、平日の営業時間も短縮されている。大統領府オスマン文書館の場合はカタログからの史料検索が容易であるが、イスラーム研究センターで閲覧と取得が可能な法廷台帳には内容をまとめたカタログが存在していないため、台帳を頭から読んで必要なページを取得しなければならない。もともとの計画では史料調査の大部分をイスラーム研究センターで行う予定であったため、史料収集のペースは大幅に遅れることになってしまっている。

また、人と会うことが非常に少ないため、研究関係の人間関係を広げることが出来ず、研究に関する情報交換をしたり、他人から自分の研究に対するコメントを貰ったりする機会をほとんど得ることが出来ない。大学のキャンパスに入ることは可能で図書館なども利用することはできるが、必要な本は日本に持ち帰るために購入することが多く、感染リスクなども考慮するとあまり大学へ足が向かない。特に1月には大学の意に反して政府に任命された新学長の就任に対して反対運動が大規模に行われおり、大学に近づくことが躊躇われるような状態であった。感染防止のために授業や研究会もオンラインで行われており学生もおらず、大学に行ったところで交友関係を新たに構築する機会はほとんど無く、受け入れ教員とも頻繁に直接顔を合わせることが難しい状況にある。

このような状況の中で主な話し相手は、新人弁護士の同居人であり、彼には居住登録などの行政手続きに関しては非常に助けられている。しかしながら研究関連の相談などは当然出来ない。上述の通り、既存の友人の多くは現在国外にいるため、筆者は今回の渡航で新たに専門の近い学生や若手研究者との関係を広げようと考えていたが、もとからの人脈が非常に脆弱であるためにこうした幸運にありつくことが難しい。以前から人脈を有している場合は、新型コロナウイルス感染拡大の真っ只中であっても既存の人間関係からさらに関係を拡大したりすることも比較的容易であったのではないかと思われる。日本の大学では上級生はオンライン授業を求める一方で、新入生は対面授業を望む傾向にあると聞くが、人間関係が無い状態で留学したことで、新入生たちが対面授業を通して求めているものが何なのかを身をもって実感している。渡航直後は現地で史料調査をできる喜びと渡航した興奮で精力的に研究を進めていたが、現在は予想以上に孤立した状態に置かれているために人との交流が非常に限定され、新たな刺激や知見を得る機会がなくモチベーションの低下に苛まれている。非常事態における在外研究活動の困難を実感している。

おわりに
トルコでは早い段階からPCR検査を大規模に行い、ワクチン接種が始まっているものの、いまだ新型コロナウイルス流行の終息は見えない状況が続いている。疫病流行下で人々の生活様式は大きく変わらざるを得ない状況にあり、経済の悪化も相まって社会全体が大きなストレスを抱えていることは滞在を通して日々実感していることである。少なくとも現地で史料にアクセスすることができるという幸運に浴しているものの筆者自身も今後の研究に大きな不安を覚えている状況であり、一刻も早い感染の終息が実現されることを願うのみである。

医療従事者を称えるグラフィティーアート。(撮影者:岩田和馬 2021年2月24日)
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