コロナ禍の海外家族生活─ドイツ・アーヘンからの報告

2020年12月14日

纓田 宗紀おだそうき(アーヘン工科大学、西洋中世史)

はじめに
ドイツ最西部の街、アーヘンに来て2年が経った。筆者は現在、アーヘン工科大学歴史学科に所属し、13世紀の教皇特使(ローマ教皇の外交使節)の活動を、文書学・政治史・宗教史の観点から考察する博士論文を書いている。留学を始めてから2年が過ぎたとはいえ、そのうち4か月間は日本に滞在していた。なぜそれほど長いあいだ一時帰国することになったのかといえば、もちろん新型コロナウイルス感染症拡大の影響を受けたからだ。ドイツに戻ってからしばらくは比較的落ち着いた生活を送っていたものの、まさに本記事の作成中、感染症拡大の影響をこれまでで最も身近に感じる事態となった。この経緯は後に述べることとして、まずは一時帰国前に遡り、現在までのことを振り返りたい。

アーヘン大聖堂(2018年10月4日、筆者撮影)

ためらわれる一時帰国
はじめに新型コロナウイルスの脅威を認識したのは、日本からのニュースに触れたときだったと記憶している。2020年2月、横浜港に停泊したクルーズ船における集団感染はドイツでも報じられ、日本の感染状況に注意が向くようになった。一方ドイツでは、1月末にバイエルン州で初めての感染者が確認されたとはいえ、多くの人がそれまでと変わらない日常を過ごしていたと思う。このころ、予定通り3月10日に帰国してよいものか迷い始めていた。

しかし、まもなくその脅威が近づいてきた。2月後半には、アーヘン近郊の街ハインスベルクのカーニバル祭りで発生した集団感染を皮切りに驚くべきスピードで感染者が増加し、アーヘンを含むノルトライン・ヴェストファーレン州が感染のホットスポットとなった。その集団感染が報じられた日の夕方には、ドラッグストアや薬局からすべての消毒用品が消えてしまっていた。結局、日本とアーヘンどちらにいても安心できない状況に置かれることになった。少し考えたのち、わたしたち家族は予定通り一時帰国することに決めた。正直に言えば、この判断に及ぼしたコロナの影響は少なかったように思う。心身共に苦労の多い海外子育て・研究生活に一旦区切りをつけ、日本で好きなものを食べた後、3月末にはアーヘンに戻ろうと考えていた。

蟄居 in 東京
偶然にも、ちょうど帰国したころが境目となり、ヨーロッパの状況が急速に変化していった。3月11日にWHOがCOVID-19をパンデミックに認定した直後、EUが入国制限措置の実施を決定し、日本の外務省がドイツの感染症危険情報レベルを3(渡航中止勧告)に引き上げた。3月末にドイツに戻る予定だったが、すでにチケットを購入してあった成田─デュッセルドルフ便の運休が決まった。6月まで待ったものの運航再開の見通しが立たなかったため、限定的に運航していた羽田─フランクフルト便のチケットを新たに購入し、7月7日にドイツに再入国することになった。4月初頭に緊急事態宣言が発令されてから、東京で電車に乗ることはほとんどなかった。

本記事の主旨は、コロナ禍におけるドイツでの生活を振り返ることにあるため、日本滞在期間をスキップしてアーヘンに戻ってからのことに話を移したい。ただその前に、帰国中には筆者にも直接関わりのあるドイツの経済対策がいくつか発表されたため、そのことに触れておきたい。ひとつは、付加価値税(消費税)の引き下げである。2020年7月から12月31日まで、標準税率が19%から16%に、軽減税率が7%から5%に引き下げられることになった。加えて、子育て世帯への支援も講じられた。ドイツでは、国籍や収入にかかわらず、住民登録があれば毎月子ども手当(Kindergeld)を受け取ることができる。この手当に上乗せするかたちで、子どもひとりにつき300ユーロの一時金(Kinderbonus)が支給された。一時金を受け取るための手続き等は全く必要なかった。

再びドイツへ
7月6日深夜、羽田空港を出発し、フランクフルトへ向かった。このころ飛行機に乗ることが許可されていたのは、ドイツでの長期滞在許可を持つ者や仕事上やむを得ない事情のある者に限定されており、機内には空席が目立っていた。機内では食事のとき以外はマスクの着用が求められたものの、空間に余裕があったおかげで、子連れのフライトの負担は軽減された。フランクフルトに到着した後、電車でアーヘンまで移動し、4ヶ月ぶりに自宅のドアを開けた。

羽田空港の出発ゲート。これほど人の少ない空港をみるのはじめてだった。
(2020年7月6日、筆者撮影)

ドイツに戻ってみると、そこにはすでにマスクに慣れた人々の姿があった。とはいえ、その慣習は日本のそれとは異なる。アーヘンでは、屋外でマスクを着けている人はかなり少ない。ほとんどの人は、お店に入る直前にマスクを着け、外に出るとすぐにマスクを外す、という所作を身に着けている。多くのスーパーでは来客にカートの使用を要求している。カートは、店内の客数の把握・調整だけでなく、客同士の距離を保つ役割も果たしているようだ。カフェやレストランでは、来客から感染者が出た場合の追跡のため、店内で飲食する際には、名前・住所・電話番号・滞在時間を所定の用紙に記入することが求められている。

このように街の様子に変化はあるものの、アーヘンでの生活は、すでに真夏の暑さに差し掛かっていた東京での制限の多い過ごし方よりは、いくらか快適だった。アーヘンは小さな街ゆえに、市内にトラムも地下鉄もなく、ほとんどの用事は徒歩圏内で済ますことができる。また、自宅近くに緑の多い大きな公園もいくつかあり、感染のリスクを避けながら子どもと生活する上ではいい面もある。

自宅近くの公園で(2020年7月29日、筆者撮影)

コロナ禍での幼稚園通い
7月中にアーヘンに戻りたかったのは、8月から息子が公立の幼稚園に通うことになっていたからだ。この施設では、4月以降、特別な事情のある家庭を除いて登園を禁止していた期間もあったようだが、7月の夏休み前までには園児たちが戻ってきていた。園児を新たに受け入れる際には、本来であれば入園の8週間前までに契約を結ぶことになっている。契約のためには、園長と直接面会する必要があるため、渡独が遅れていることを理由に息子の受け入れが取り消されてしまうのではないかと心配していたが、異常事態ゆえに柔軟に対応してもらうことができた。7月後半にようやく契約の面談をおこない、8月から通園が始まった。

日本であれ、ドイツであれ、子育ては社会とのつながりを生み出すものだ。外国人としてドイツに暮らすわたしたちにとって、2歳の息子は、異なる社会・言語・文化を学ぶための重要な窓口となっている。たとえば、息子を含む新入園児たちが通園に慣れたころに開催された保護者会では、ドイツ人たちの防疫観を垣間見ることになった。15人の保護者と5人の職員が出席したこの集まりは、十分な間隔をとって椅子が並べられたエントランスでおこなわれた。会場に入る際には、飲食店で食事をするときと同様に、マスクを着け、手の消毒をして、名前・住所・電話番号を用紙に書いた。その後、会の冒頭で、着席すればマスクを外してよい、とアナウンスされると、その場にいる全員がマスクを外した。少しでも立ち上がって移動するときには几帳面にマスクをつけるのだが、ひとたび椅子に座ればマスクを外して普通の声量で会話を始める。まるで座ることによってウイルスを弱体化させることができると思っているかのようだった。慣れない行動様式に驚き、戸惑いながらも、周りと同じようにふるまうしかなかった。

幼稚園での子どもたちの活動にもコロナ禍の影響はあるらしい。日常的なことを挙げれば、歌をうたうことは禁じられ、弁当を持参して近場に出掛ける小遠足もおこなわれていない。保護者が参加するのが慣例となっている行事も大きく制限されている。たとえば、毎年11月11日のザンクト・マーティン祭では、親子が手作りのランタンを持って歌いながら夜道を練り歩くというイベントがおこなわれるが、今年はすでに中止が決まった。その代替案なのか定かではないが、幼稚園近くの高齢者施設の前で、窓越しに子どもたちが寸劇を披露する予定となっている。

第二波のとば口で
この記事は、締切が迫っていた2020年10月28日に一気呵成に書き上げようとしていた。だが、ここまで書き進めていたその日の夕方、幼稚園の保護者のWhatsAppグループに届いた連絡によって、わたしたち家族の生活が新たな変化をこうむることとなった。園児ひとりの感染が確認されたというのだ。この幼稚園では、80人程度の子どもたちが、年齢で分けられた5つのグループに分かれて生活を送っており、保護者の連絡網もこのグループ単位となっている。陽性者確認の連絡を受けた保護者たちは少なからず動揺し、チャットには「どのグループの子が感染したのか」、「いや、子どもたちは複数のグループで一緒に遊ぶこともあるから、感染した子がどのグループかは重要ではない」、「保健所の対応を待っていられないから、明日にでも小児科に行く」、「上の子は小学校に行ってよいのか」といったメッセージが飛び交っていた。夜、園長からのお知らせにより、感染者の症状が出始めた10月23日を始点として2週間、すなわち11月6日まで、幼稚園が閉鎖されることが伝えられた。前の週に幼稚園を休んでいた子を除き、園児と職員は11月6日まで自宅隔離することとなった。直近の2週間は学校の秋休み期間でもあり、休暇に出掛けていた家庭もあったようだ。

春以来の深刻な感染拡大が始まっていることは、すでに周知の事実だった。以前は多くみられた観光客の姿はないとはいえ、街のレストランで向かい合って会話しながら食事をする人々は明らかに増えていた。実際に、一旦は落ち着いたかと思われた感染状況は、その後徐々に悪化し、10月半ばには一日の新規感染者数が4月の水準を超えて連日最多記録を更新している。同じく10月28日、メルケル首相と各州政府との協議の結果、さらなる感染拡大防止措置が講じられることが決まった。11月2日から、ドイツは4週間の部分的なロックダウンに入る。

10月30日、幼稚園の一室で園児たちのPCR検査がおこなわれた。結果は、コロナ警告アプリ(Corona-Warn-App)または専用のウェブサイトで確認できるようになっている。今、落ち着かない気持ちで検査結果を待ちながら、普段は毎日のように外で遊ぶ息子と残りの隔離期間をどうやって過ごせばよいものか思案している。(※追記:本記事の脱稿後、陰性の判定が出た。)

アーヘンのクリスマスマーケット。今年は中止が決定した。
(2019年12月21日、筆者撮影)
PAGETOP