ベトナムはCOVID-19に「勝利」できるのか?―ハノイで経験する予防と対策

2020年10月 9日

伊藤 まり子(JICA/日越大学、文化人類学、東南アジア地域研究、ジェンダー研究)

1.はじめに:「新型コロナウィルス対策優等生」に違いはないのだけれど……。
ベトナム社会主義共和国(以下、ベトナム)が、「新型コロナウィルス対策優等生」として注目されていることは、みなさんご存知だろう。いわゆる先進諸国が近代医療技術をもってしても感染拡大を抑え込むことができずに、今や全世界で90万人近くの死者を出している現状において、ベトナムでは早々にウィルスの封じ込めに成功し、死者は未だ0名!と、当地でフィールド・ワークする者としてわたしはこのエッセイでベトナムの対策の「優秀さ」を、声高に自慢する予定だった。しかしその矢先の2020年7月後半、再び感染者がベトナム中部のダナン市で報告されてしまい、さらに初めての死者が出てからは、次々と不安が掻き立てられるニュースが続けざまに届けられている。自宅の窓から見える今日のハノイ市は久しぶりにどしゃぶりの雨が降っていて、この雨水がコロナウィルスを流し去ってはくれまいかと期待をかけつつ、以降では、わたしが経験しているベトナムでのCOVID-19の状況を紹介していきたい。

2.ベトナム概観
ベトナムは、中国、ラオス、カンボジアと国境を接する東南アジア大陸部最東端の国である。54の民族から構成される約9400万人の国民は、その約90%をキン(ベト)人が占める。彼らが暮らす国土は、日本と同様に南北に細長く、北部には紅河デルタ、南部にはメコンデルタが広がる土壌豊かな農業国だ。ベトナム戦争後に目覚ましい経済発展を遂げ、近年では人気の海外旅行先として、また技能実習生送り出し国としても注目を集めるようになった。ただし、その経済発展に隠れてつい忘れられがちだが、政治体制はベトナム共産党による一党体制の社会主義国であり、中央政府から地方行政の末端に至るまで、共産党の影響力が強く働いている。

わたしは、このベトナムをフィールドにして、主に女性と宗教のかかわりを調査するために人類学的フィールド・ワークを実施してきた。そして2017年4月からは、JICA(日本国際協力機構)の長期派遣専門家として首都ハノイ市に派遣され、当地に滞在して「日越大学修士課程プロジェクト」に携わっている(日越大学については、以下のHPを参照頂きたい。 http://vju.vnu.edu.vn/en )。つまり、フィールドでのコロナ経験真っ只中、といったところだろうか。

さて、こちらでの任務の内容についてもごく簡単に触れておくと、日越大学は2016年に開校したばかりの国立大学で、文理あわせて8つの修士課程プログラム(いわゆる学科)から構成される(2020年10月から学部も設置される予定)。わたしはその中の「地域研究プログラム」の教員として、プログラム運営や所属学生の教学に取り組んでいる。

ハノイ市内の風景(2020年9月3日伊藤まり子撮影)

3.国民「総動員体制」の新型コロナウィルス対策
では、ベトナムでのCOVID-19はどのように展開してきたのだろうか。ベトナムで初めての感染者が報告されたのは2020年1月23日のことだった。中国・武漢からの旅行者2名が感染者として特定されたのだ。これを受けてベトナム政府は、極めて迅速に対策をとった。時系列で述べると、翌24日には、政府はベトナム―武漢間のフライトをすべて運休し、加えて感染地域からのフライトも運休、観光客の入国も拒否した。さらに中国との国境を封鎖し、人びとの往来を制限した。また副首相をリーダーとした新型コロナウィルス対策国家委員会を設立し、関連省庁との連携をとった体制づくりをいち早く整備した。その後27日になると、首相は国民に向けて「新型コロナウィルスは敵であり、疫病対策はそれに対する戦いである」と、まるで戦時下さながらの演説をし、コロナ対策強化への国民の協力を鼓舞したのであった(この首相からのメッセージは、3月になって、国民に限らず外国人である私の携帯電話にも届けられた)。その後29日には、ベトナム共産党の党書記長が、情報の正確な開示や公共の場での集合の回避などに係る極めて重い指示を、中央から各市町村の末端の党委員会に至るまで出している。この指示は、仮にある地域で感染が拡大するようなことがあれば、その地域の党幹部は厳罰に処されるニュアンスが込められていたとの指摘もあり、各地方行政挙げて必死のウィルス封じ込め作戦が展開したことが想像できる。このようにしてベトナムでは、党=政府が最初の感染事例から1週間以内で全国の組織を動員する対策を指導し、国民もそれに応答するかたちで感染拡大に備えた「総動員体制」をとったのであった。

この間、ベトナム政府はコロナ対策にまつわる13の罰金刑を施行している。興味深いのでその冒頭部分を少しばかり紹介したい。例えば、公共の場でマスクをしなかった場合は、最大で300,000ベトナムドン(1,500円相当)の罰金、公共の場で使用済みマスクを投棄したら最大5,000,000ベトナムドン(25,000円相当)、また舗道や公道で使用済みマスクの投棄は最大で7,000,000ベトナムドン(35,000円相当)と、個人が公共の場でマスクをしないことよりも、使用済みマスクの投棄の方が厳罰に処される。これは使用済みマスクを介したウィルス拡散の危険性を考えたと同時に、ベトナムの人々にとってゴミの「ポイ捨て」が慣習化していることを反映した処罰といえるのかもしれない。また、COVID-19に関連する嘘や間違った情報、あるいは歪曲した情報を、インターネットなどを使って流布した場合には最大で15,000,000ベトナムドン(7万円相当)の罰金あるいは刑法288条(職務の放棄罪)に従った処罰が与えられる。言論や情報統制のある社会主義国ベトナムならではの刑罰といえるだろう。

一見すると、厳しすぎるともとれる以上のような対策をとりながら、2月に入ったベトナムでは、一部地方での感染者が確認されたことで、当該地域を20日間封鎖したが、その他の地域では幼稚園から大学までの教育機関が休校を延長する以外、特に行動規制はなく、通常通りの社会生活をまだ送っていた。しかし3月になり、海外からの航空便で入国した人の中に複数の感染者が見つかったことにより、すでに封鎖していた中国との国境のみならず、カンボジア、ラオスとの国境も封鎖し、また国際航空便の着陸も不許可として、海外からのすべての入国を禁じる措置をとった。その後政府は、レストランやカラオケなどのサービス業への休業命令に続き、列車や公共バス、国内航空便の運休を指示し、4月1日から本格的な全国隔離政策を実施するに至った。いわゆるロックダウンである。これにより、わたしが住むハノイ市内では人びとが極力外出を避け、公道からはバイクや自動車が消えた。そのため、本来だと一年中鳴り響いているクラクションの音が聞かれなくなり、市内が一時的に閑散と静まりかえり、また排気ガスによる大気汚染も緩和されたのであった(なお、ロックダウンは4月いっぱい続けられた)。

その後のベトナムでは、感染者が報告されるたびに、新聞やインターネット上で新たな感染者の個人情報(氏名、年齢、性別、住所など)と移動日時および移動先が詳細に掲載されるようになり、また感染者を追跡できるアプリが開発されて国民全員にダウンロードを推奨するなどして、感染拡大防止の様々な措置を講じていった。

4.「わたしたち自宅隔離になるかもしれません……。」
それはロックダウンから遡ること約3週間前の3月7日の出来事だった。その日は、新型コロナウィルス感染拡大防止のために延長された旧正月休暇がようやく明けて、大学では学生の修士論文研究発表ゼミが開かれていた。ゼミには発表者である修士2年の学生のほか、修士1年の学生と関係教員など総勢15名ほどが一つの教室に集まった。もちろん参加者全員がマスクをしていて、間隔を置いて席に座り、対策は万全であった。関係教員の中には、外部の大学や研究所所属の研究者もおり、学生たちは久しぶりの研究発表に奮闘し、ゼミ自体は盛況に終わった。

その日の夜になり、帰宅して自宅でくつろいでいると、ベトナム人同僚のG先生からわたしの携帯電話にメッセージが入った。「伊藤先生、明日からわたしたち自宅隔離になるかもしれません」。G先生の話しによると、外部機関からゼミに参加して下さっていたP先生の上司が新型コロナウィルスに感染し、P先生はその上司と間接的に接触していたために隔離対象になったのだそうだ。その後、日越大学にこのことが通知されると、学内のコロナ対策委員会は、ゼミに参加していた全員をP先生との接触者であるとして自宅隔離を指示したのだった。つまりわたしは、ベトナム社会がロックダウンする前に、隔離を経験することになってしまったのである。まずは学生たちの状況をSNSなどで把握し、全員が元気な様子であることが確認できたので、それ以上の大事にはならずに済みそうだったが、まさか自分自身が早々に感染の可能性を疑われることになろうとは想像もしていなかったため、冷蔵庫の食料は数日分しかない。外出はできない。「さて、どうしようか……」。幸いにも、同僚の教員が近くに住んでいたので、電話で事情を説明し、ひとまず1週間分程度の食材を買ってきてもらうことにした。ただし、同僚との接触は避ける必要があるため、購入した食材は玄関のドア前に置いてもらい、同僚が立ち去った後に受け取ることにした。

今回わたしが経験した自宅隔離は、行政や保健所などの判断によるものではなく、大学内の保健機関による自主的な判断だった。そもそも新型コロナウィルスに感染したP先生の上司はゼミに参加していないし、またP先生自身がその上司と濃厚接触していたわけでもない。あくまで二次接触である。しかしP先生の所属先では、P先生を含む相当数の職員がPCR検査を受けることになり、わたしたちは、P先生の陰性が判明するまでは自宅隔離することになったのであった。結局、自宅隔離から解放されたのは1週間後であった。

日越大学エレベーター内に貼られたコロナ対策
(1.マスクをかける! 2.エレベーター内では話さない!
3.エレベーター内では電話をかけない、聞かない!)。
(2020年6月5日伊藤まり子撮影)

ベトナムでは、この頃からこうした組織による自主隔離の動きが起きており、「疑わしきは罰せず」ならぬ「疑わしきは自主隔離」の意識が浸透しつつあった。もちろん行政側も徹底しており、感染者が特定された場合には、その住居や居住するマンションを立ち入り禁止区域としたり、また感染の疑いがある人も含めた人物名をマンション入り口に張り出すなどしたのである。官民揃っての「徹底抗戦」の構えである。その際、感染者や感染疑いのある人の特定のために使用されたのが「F0(エフゼロ)」や「F1(エフワン)」などという用語であった。これはベトナム厚生省による分類法で、感染者をF0として、感染者との濃厚接触者をF1、F1との接触者をF2、というように定めたものである。わたしの事例に即して言うと、P先生はF2、わたしはF3だったというわけだ。様々なニュース媒体がこの用語を用いてコロナ感染の状況を取り上げるようになり、また人びとの話題にも「○○さんのマンションにF1がいるんだって」などの噂話が盛んに飛び交うようになった。いずれにしてもベトナム政府だけではなく、国民(少なくともハノイ市民)自身も感染リスクに敏感になりながら、熱心に対策に取り組もうとしていたことは間違いなく、外国人であるわたしも、(自主隔離を経験しているので当然と言えば当然だが)その一当事者として取り込まれていったのである。

ハノイ市内のホテルに貼られたコロナ対策
(農場や野生の動物との接触を避けることも対策の一つであることが興味深い)。
(2020年6月5日伊藤まり子撮影)

5.子供たちの健康が第一!:オンライン講義へのスムーズな移行
ところでベトナムでは、前述したように、幼稚園から大学までの教育機関の多くがロックダウンに先駆けて休校措置をとった。1月後半からすでに通常の旧正月休みに入っていたので、そこから更に休校になったことで、子供たちにとっては思わぬ長期休暇になったようだ。親たちも子供の健康を第一に考えて、この選択には賛成したようだが、その後、教育の遅れや、学費の問題を危惧する意見が少しずつ出はじめると、教育訓練省(文科省)は、自宅でも授業に参加できるオンライン授業への移行を各教育機関に推奨した。そのため、教員たちは大慌てで対応を迫られることになったのだが、それよりも大変だったのは母親たちであった。幼稚園や子供向け英会話教室などでもオンライン授業を取り入れたところがあるようで、落ち着いて座っていられる年齢であればいざ知らず、パソコンの画面の前でじっとしていない子供たちに付き添い、子供に勉強を促すという仕事が一つ増えたのだから、本人の仕事どころではなかったようだ。小学校低学年までの子供を抱える同僚の教員を見ていると、休暇が長くなればなるほどに疲労感が増しているようにみえた。子供を守るのも一苦労である。

幼稚園に掲示されたコロナ対策
(至る所で様々なコロナ対策の看板を見かける)。
(2020年7月25日伊藤まり子撮影)

日越大学も、本部にあたるベトナム国家大学ハノイ校の指示に基づきオンライン講義になった。システムが導入される以前にオンライン講義への移行の指示が出されたため、混乱が生じるかと思いきや、少なくともわたしの周囲は想像以上にスムーズに対応していた。急な準備を迫られた教員側は、授業をなんとしても継続しなければという使命感に燃え、システムの学習や準備に余念がなかったし、学生たちもまた動揺を見せることなく、その状況にすぐに適応していたようだ。何よりも旧正月休みで地方の実家に帰省していた学生にとっては、実家から授業に参加できることや、その様子を親に直接見せることができてうれしかったらしい。

こうしたオンライン授業へのスムーズな移行は、ベトナムにおけるインターネット環境の充実を改めて確認する出来事となった。日越大学の学生の中には少数ながら地方の山間部に実家のある者もいるためインターネット接続が不安視されたが、特に大きな問題が生じることもなく、科目によってはオンライン筆記試験も無事に終わったことが報告されていた。日本の大学に勤務する知人からは、各大学での様々なドタバタを見聞きしていたので、それから比較すると驚くほど何事もないことに、ベトナムの人々の柔軟性を実感せざるを得なかったし、修士課程の学生のパソコン普及率もある程度計ることができたように思う。


6.ベトナムはCOVID-19に「勝利」できるのか?

最後に、ベトナムはCOVID-19に「勝利」できるのか考えてみたい。日本を含む諸外国の現状と比較してみると、経済よりも国民の命を優先したとされるベトナムの対策は成功と呼べる状況にあると言っても過言ではないだろう。ロックダウンから解放されて久しい2020年9月では、教育機関も通常通りの対面式授業を展開しているし、ハノイ市内でのサービス業の営業もある程度は元に戻りつつあるようで、日常生活での不便さはほとんど感じることはない。何よりも感染者数と死亡者数が圧倒的に少ないことは、ベトナム政府と国民による「総動員体制」のなせる技であろう。しかしながら政府はそれでも、30人以上の集団活動を制限し、宗教的祭礼を含む様々な社会活動は中止させている。こうした背景には、SARSで外国人を含む死者を出してしまった苦い経験や、脆弱な国内の医療体制に対する危機感もさることながら、最大の理由としては国境を接する中国への不信感があることが指摘されている。ベトナムの人々にとって中国は、1000年にわたる支配の歴史や1979年からの中越紛争、そして現在の南沙諸島の問題を抱える、因縁の「兄弟国」である。その中国を感染源と断じるベトナムの人々が今回の新型コロナウィルスに対して楽観的な対応を取るはずがないのだ。そのため今後も中国から発信される情報は疑惑のまなざしで慎重に精査しつつ、両国間の経済活動は落ち着いてから巻き返しを考えればいいというのが現状なのではないだろうか。



他方で、ハノイ市以外の地域では、2020年7月の時点で感染クラスターが発生するなど油断できない状況として現在もなお立ち入り禁止状態が続いている。また全国的には経済低迷により失業率の上昇が無視できない社会問題となっているし、多くの大学生が就職難であることも教員としては看過できない。通常であれば夏休みに入る時期は外国人旅行客でにぎわうハノイの旧市街の街並みは閑散としており、「閉店」のお知らせが貼られた店舗も少なくない。バイクのクラクションが鳴り響き、ベトナムがいつもの賑わいを取り戻すのは、もう少し先のことになりそうだ。



そしてもう一つ。肝心のフィールド・ワークの動向はというと、本格的には実施できていないと言わざるを得ない。新型コロナウィルスの感染拡大が報道されてから、ハノイでは感染者の多い国を中心とした外国人差別が顕著になった。具体的には、タクシーの乗車拒否や居住先からの強制退去などがあったと報告されている。こうした中で外国人であるわたしが宗教施設に出入りし悪目立ちすれば、調査対象者に迷惑をかけることになりかねない。宗教儀礼が政府の指導に基づき休止させられている現状ではなおさらである。翻せばベトナムでの疫病対策儀礼は公式には実施されていないことになるのだが、果たしてそれは本当だろうか。その実情を探るべく調査者魂がウズウズするところではあるが、ここはじっと我慢。まずは新型コロナウィルスの感染が落ち着き、少しでも日常が戻るのを待つことにしよう(なお、10月8日時点でベトナムの感染者数は1099名、死亡者数は35名。出典: WHO Coronavirus Disease (COVID-19) Dashboard. https://covid19.who.int/region/wpro/country/vn)

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