ロックダウンにはもう飽きた~第二波に直面するイギリスから~

2020年12月18日

田中 悠子(ロンドン大学アジア・アフリカ研究学院、中東史)

はじめに
「今年のクリスマスは、例年とは違うものになるだろう―」 筆者が本稿を執筆中の2020年10月31日、イギリス首相ボリス・ジョンソンが二度目のロックダウンを発表した。冒頭は首相が記者会見の中で語った言である。こんな時にクリスマスが何だ、と日本の読者の方々は思われるかもしれない。しかしキリスト教(英国国教会)を国教とするこの国では、クリスマスは日本人が想像する以上に重要な行事だ。首相の言には、今のうちに我慢しないとクリスマスを家族と祝えないぞ、という強い警告と、実際クリスマスに影響が出るだろうから覚悟しろ、というメッセージの両方が含まれていた。

イギリスがこんなことになろうとは、十か月前には誰が予想できただろうか。この国は西欧諸国で最もコロナ犠牲者の多い国となり、未だそこから抜け出す道を見出せないでいる。筆者は2015年以来、ロンドン大学アジア・アフリカ研究学院(以下SOAS)の博士課程に在籍し、文献ベースの中東史研究を行ってきた。これは、イギリスの大学にたまたま在籍し、コロナに翻弄されるこの社会に身を置いてしまったがゆえに現在進行形で途方に暮れている、一留学生の見聞録である。

写真1. コロナ禍以前のロンドン(2020年1月18日田中悠子撮影)

本稿の舞台となるイギリスについて、今更ここで概観する必要もないだろう。筆者の印象のみ挙げておくならば、ロンドンへ来たばかりの頃印象深く感じたのが、人々の愛想の良さである。知り合いでなくともすれ違いざまに目が合えばニッコリ笑い合い、重い荷物を抱える人がいれば誰かが手助けする。孤独な留学生にとって、そうした人々の親切は嬉しいものだ。しかしそうした雰囲気は、コロナ禍で一時的に変容した。以下にその状況を記す。

ロックダウンへの道のり① 対岸の火事、そしてレイシズム
日本がダイヤモンド・プリンセス号の件で揺れていた2020年2月初旬、イギリスではコロナはまだ「対岸の火事」だった。ちらほらと感染者も報告されていたが、海外から持ち込まれたもので感染ルートがわかっている、また感染者も軽微な症状であるとして、何となく「自分たちにとっては恐れるに足りない」といった空気があったように思う。

一方で、既に1月末には大学から中国からの帰国者は体調を注視せよとの連絡が回り、2月4日にはイギリス政府が在中英国民の帰英を促すなかで、「東アジアで発生した気味の悪いウィルス」の認識は広がっていた。そのためコロナ問題は当初、東アジア人に対するレイシズムとセットになっていたと言える。イギリス各地で東アジア人が「コロナ!」と叫ばれたり、酷い場合は暴力を受けたりする事件が報告され、大学からも注意喚起のメールが回った。筆者自身も同居人(イギリスでは学生・若者が住宅をシェアする居住形態が一般的である)の一人から「貴方はアジア人だから、今あまり出歩かない方が良いんじゃない?」と冗談まじりに言われたことを記憶している。

ロックダウンへの道のり② 広がる不穏な空気
イギリスに不安が広がり始めたのは、イタリアでの事態が深刻さを増していた2月末頃のことだ。ちょうどその頃筆者の指導教官がイタリア出張に赴いたが、帰英直後の教官から「無事生還したよ」とメールが来たのを覚えている。冗談めかした文面の裏には、コロナが自分たちと無関係ではなくなっているという現状認識があった。皮肉なことに、ヨーロッパでのコロナ被害が増すにつれ、アジア人へのレイシズムは鳴りを潜めていった。3月初めになると不安から買い占めが起こり、ロンドン市内のスーパーでも生鮮食品やトイレットペーパーが姿を消しつつあった。

しかし、イギリスのコロナ対応は緩慢だった。当初集団免疫獲得方針をとった首相は、3月初めのインタビューで国民に対し通常の生活を続けるように推奨する一方、「ハッピーバースデーの歌を2回歌いながら(つまり、約30秒間)手を洗いましょう」と呑気に語った。

写真2. 2020年2月末頃からよく見かけるようになった
「手の洗い方」の貼り紙。(2020年11月2日田中悠子撮影)

一般化はできないにしても、筆者の同居人たちを見ていると、それまでイギリスの多くの人々の衛生/防疫意識はあまり高くなかったと思う。外出から戻っても必ずしも手を洗わないし、マスクに至っては「アジア人がするもの」という偏見があって、筆者もマスクをしていようものならよくからかわれたものだ。しかし、3月半ば頃になると、街中や交通機関でアジア人以外の人々がマスクをしている姿を見かけるようになった。大変なことになりつつあるという不安感が、マスク姿に表れているようだった。

そしてロックダウンへ
3月16日、首相は国民に対し「可能なら」自宅勤務をすること、体調不良の場合は自宅待機し、特にパブなど人の集まる場所は避けること、などを求める声明を出した。この時点ではまだ外出「禁止」ではなかったが、非常事態であるという認識は着々と広がっていた。

フランス・ドイツがロックダウンを発表した直後の、3月18日の正午頃。大学から「本日18時をもって建物を閉鎖する。明日から我々はオンラインへ完全移行する」とのメールが入った。すでにその頃には不穏な空気をひしひしと感じており、研究に必要な文献は出来るだけ借り出していたが、こんなにも唐突に閉鎖されるとは思っていなかった。大慌てで旅行用のスーツケースを引っ張り出し、まだ借りられていなかった文献を上限いっぱいまで借りて、重いスーツケースを引きずりヨロヨロと家へ戻ったのが同日の夜である。そして23日にイギリス政府が正式にロックダウンを発表し、長い引きこもり生活が始まったのだった。

NHSを守れ
イギリス政府のメッセージはシンプルだった。“STAY HOME (家に居ろ)”、 “PROTECT THE NHS(NHSを守れ)”、 “SAVE LIVES(命を救え)”である。NHSとはイギリスの医療の根幹となる国民皆保険制度National Health Service(国民保健サービス)の通称だ。ロンドンオリンピック開会式でNHSが取り上げられたことをご記憶の方もいるかもしれないが、それほどに、公平な医療を保障する本制度はイギリスの誇りの一つだ。しかし実際には、イギリスの医療は医師不足によりコロナ以前から危機的状況にあった。この頃他国の悲惨な状況を目の当たりにしていたイギリスでは、脆弱な医療制度を守り医療崩壊を防ぐことが何よりも重要だと認識されるようになっていた。上記の三つのメッセージは、人々が家に居て感染拡大を防ぐことによりNHSが守られ、多くの人々の命を救うことになるという意味が込められていた。

ロックダウン下の社会① 不安と団結
ロックダウン下では必需品の買い出しや運動目的以外の外出は一切禁止され、不必要な外出には警察権力が介入できることとなった。食品・生活用品店以外の全ての商業施設は閉鎖された。メディアは医療現場の奮闘を伝える一方でイタリアやスペインの悲惨さを報じ、我々も2週間後にはこうなるのだ、と黙示録のように繰り返した。交通量はがくんと減り、常には観光客でごった返すロンドン中心部にも、まばらな人影しか見られなくなった。

冒頭に述べた通り、ロンドンではすれ違いざまにニッコリ微笑んでくれる人が多い。しかしロックダウン直後のその頃、買い出しのために外出した際に筆者が感じたのは、他人と目を合わすのも避けるようにうつむいて足早に歩く人が多かったということだ。路上で休憩していたバスの運転手が、たまたま近くを通った歩行者に「近づくな!」と怒鳴ったのを見たこともある。コロナ禍の不安の中、いつもはロンドンの路上で他人同士がすれ違う際によく見られる愛想の良さは、消えてしまったようだった。

しかしこの非常事態はまた、反対の効果ももたらしたようにも感じられた。イギリスは2016年以来のEU離脱問題で長く揉め続けてきたし、その他の問題も絡んで政治不信の人も多い。しかしロックダウン後、医療従事者を讃えるために毎週木曜日の夜8時に窓を開けて拍手する取り組みが始まったり、女王がウィンザー城から国民に向けてビデオメッセージを発したり、また政府が「NHSナイチンゲール病院」の建設を発表したりする中で、失われていた一体感のようなものが再生する雰囲気もあった。 “solidarity (社会的連帯)” という言葉が様々な場面で繰り返され、政府が募ったNHSボランティア(NHSの物資を運搬したり、自己隔離中の人々の状況を電話でチェックしたり食糧や薬を届けるなど、医療活動以外でNHSをサポートする様々な活動を行う)には当初目標とされた2万5千人を遥かに超える7万5千人が応じた。また、現役を退いていた多くの医師や看護師が呼びかけに応じて現場に戻ったことが報じられた。まるで戦時下のようであるが、イギリスの人々が持つ団結力のようなものが現出したのも、ロックダウン初期の社会の一側面である。

写真3.「ありがとう、NHSの英雄たち」。
コロナ禍以降、このメッセージと虹のマークを
窓に貼りだす家や店舗をよく見かけるようになった。
(2020年11月4日田中悠子撮影)

ロックダウン下の社会② 現状への順応
コロナ禍当初はスーパーの品薄が顕著だったが、4月に入った頃には次第に物流が元に戻り、買い物に困ることはなくなった。アマゾンなどでの買い物もできたし、レストランの一部もテイクアウトやデリバリーでの営業をしていたため、食や生活物資に困ることはなかった。

また印象的だったこととして、各サービスや大学の授業のオンライン化が非常に速やかに行われた点があげられる。筆者が目の当たりにしたSOASの状況で言えば、オンラインへの移行は至極唐突に通達され、大学は最初きちんとしたプラットフォームを提供するどころではなかった。教員それぞれがツールを調べ、オンライン化を実現したのである。現状に応じて「なんとかする」という人々の柔軟な対応力が、様々な局面で痛感された。

研究生活への影響
ロックダウンが研究に及ぼした影響についても述べておこう。言うまでもなく、その影響は深刻である。文献ベースの研究を行う筆者は、図書館を使えなければ出来ることが限られる。大学閉鎖前に借り出した史料をもとに自宅に篭って博論執筆を続けたが、借りられなかった史料も多かった。筆者のみならず、博士課程の学生の多くが研究を制限され、留学生仲間の中には春に故国に戻って以降、英国のコロナ禍と研究環境の悪化を理由に未だ大学に戻ってきていない人も多い。

7月になるとロックダウンが少しずつ緩和され、大学図書館は依然として立ち入りはできないものの、事前予約による貸出やスキャンデータの送信サービスを提供するようになった。7月22日には大英図書館が漸次的再稼働を始め、研究環境が少し良くなった。しかし、所属先であるSOASの図書館への立ち入りが出来たのは9月後半、じつに半年ぶりのことである。

殆どの図書館に共通して言えるが、以前と大きく違うのは、完全予約制で3時間などの時間制限がつくことだ。全てのスペースを開放しているわけではない上ソーシャルディスタンスを保つため人数が厳しく制限されており、予約はすぐに埋まってしまう。書籍の利用法も変化した。各図書館によってルールは異なるが、SOASは本来開架式図書館であったのが今は感染防止のため、館内に入れても書籍に触れることは原則禁じられている(一部開放された書架もあるが)。触ることができるのは事前予約をして職員により準備された本のみであり、冊数制限もある。自由に書架の間を歩き回って必要な情報を探すという、以前は当たり前に出来たことが、今は出来ない。また、一度誰かが触った本は3日間隔離されるため、見たい時に見たいものが見られない場合も多い。

……などと不便さをあげればキリがないが、状況を注視しながら出来る限りのサポートをしてくださる図書館職員の方々には頭が下がるばかりだ。今は一日も早く日常が戻ることを願いつつ、出来ることをするしかないだろう。

写真4. SOAS図書館内。人気の窓辺席も入館制限のためガラガラ。
左手は現在開放されている数少ない書架だが触れる際は手袋着用が推奨される。
(2020年11月2日田中悠子撮影)

我慢できないイギリス人―そして二度目のロックダウンへ……
厳格なロックダウンは春から初夏にかけて続いたが、筆者が痛感したことが一つある。イギリスの人々は我慢をしない、ということだ(一般化しすぎかもしれないが)。5月~6月はイギリスでは貴重な好天が続くシーズンだが、筆者が自宅の窓から見ていると、近所の人々が友人と集って庭でバーベキューなどを楽しむ光景が目に入った(その頃は一部の例外を除き、世帯の異なる人々が集うのは禁じられていた)。日本ならば、こうした非常時には「自粛」の意識が強く働くだろう。それが良いのか悪いのかは別だが、感染抑制には一定の効果があろう。一方、イギリスでは自粛意識はあまりない。スペインのリゾート地でイギリス人滞在者が規制を無視してプールで泳ぎ拘束される姿が報じられた際にも、その映像への反応は批判よりもむしろ「良くやった」という喝采であった。

写真5. マスク着用を呼び掛けるポスター。
7月以降、屋内公共空間でのマスク着用が法的に義務づけられた。
違反すれば200ポンド以上の罰金が科される。
(2020年10月15日田中悠子撮影)

ロックダウン緩和の中で夏を過ごしたイギリスだが、秋に入って第二波の拡大を抑えられず、2020年11月5日から二度目のロックダウンに突入した。それに先駆け10月半ばから既に屋内での別世帯の人々の同席が禁じられていたが、筆者が目にした限り、そうした決まりごとは必ずしも守られてはいなかった。状況は一言で表すことができる。人々はもう、コロナによる規制に「飽きている」のだ。一度目には事態を注視し慎重に行動した人々も、事が長引くにつれそうした気持ちを無くしつつある。二度目のロックダウン前夜の11月4日には、多くの人々が最後の機会にと外食や飲みに出掛け、最近で最も多い人出になったことが報じられた。

筆者が本稿を書き上げる今日は、二度目のロックダウン初日の11月5日である。今回は教育機関が除外されたため大学図書館の使用は続けられるが、もし事態が悪化すればどうなるか(ちなみに、大英図書館は再閉鎖となった)。イギリスの冬は寒く、長く、気が滅入る。この国は第二波をどうやって乗り切るのだろうか。人々は既にロックダウンに飽きている。クリスマスまでに、この状況は好転するか。その上この国には、年末に迫った最終的なEU離脱交渉問題もある。色々な意味で先が見えないまま、イギリスの秋は更けていく。

写真6. 二度目のロックダウン初日の朝、ロンドン中心部の公園。
この季節には珍しく陽光のさす朝となった。
(2020年11月5日田中悠子撮影)
PAGETOP