世界のフィールドから From "Fields" around the World

2026年11月号

不在と在:研究対象の墓参を通じて

佐藤大雅 (法政大学大学院博士後期課程)

専門:美術史・文化史、フィールド:アゼルバイジャン

研究対象が既に亡くなった人物である場合──多くの場合に当てはまるだろうが──、その人物と対話する機会は、大抵の場合、その人が遺した作品やその周辺のテクストを紐解くか、或いはその人の動画や音声の類を再生する、ないしその対象と深く関わりを持ったことのある人に話を聞くことくらいに限られてしまっている。かくして、その人がかつて確かにこの世に在ったのだということさえも端から忘却してしまい、「不在」の前提から研究が始まることも少なくないだろう。筆者の主な研究対象であるアゼルバイジャンの画家ターヒル・サラーホフ(Tahir Salahov; 1928-2021)もまた、筆者が彼の研究に取り組む前に逝去している。

筆者の調査地であるアゼルバイジャンの首都バクーには、「名誉の小径」と呼ばれる墓地がある。そこには、「国父」ヘイダル・アリエフや、サラーホフをはじめとする、アゼルバイジャンの多くの文化人が埋葬されている。

筆者は今夏のフィールドワーク時に、サラーホフの墓前に手を合わせる機会を得た。サラーホフの墓石には、晩期の傑作である三幅対(トリプティック)《火の国》(2007年)(左から、《拝火教寺院》、《今日のカスピ海》、《乙女の塔》)が彫刻されている。いずれもアゼルバイジャンを象徴する風景である。

サラーホフの作品は数多く実見してきたし、彼に纏わるテクストも相応に読んできたつもりだが、筆者が墓前に立った瞬間、これまでに一度も感じたことがなかった圧倒的な「在」の感覚が唐突に立ち現れてきた。当然のことながら、そこに生前の本人の姿が在るわけではないのだが、墓前では、かつて確かにサラーホフという人が存在していたという純然たる事実が呼び起され、そこで実際に彼と対話した感覚が生まれた。墓石中央の《今日のカスピ海》から溢れ出るように彫り込まれた力強い水流が、まるで自分の奥深いところにまで流れ込んできたようであった。

撮影フィールド

アゼルバイジャン・バクー