世界のフィールドから From "Fields" around the World

2025年5月号

キリマンジャロで学んだトルコ語の吸着音

品川大輔 (東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所)

専門:言語学、フィールド:サブサハラアフリカ

私のフィールドのひとつにタンザニア・キリマンジャロ州のウル・シンブウェという村がある。キリマンジャロ山麓の集落の北限域に位置するこの村では、常宿にしているゲストハウスを調査ベースとして使わせていただいているのだが、そこを訪れる旅人との交流も調査の日常の一コマとなっている。

その晩はトルコから来た医師とその息子さんと食卓を囲んだ。ダルエスサラームで車を借りて交代で運転し、遠路はるばるキリマンジャロにやってきたという、ロードムービーを地で行くような父子であった。私が言語調査でこの宿に泊まり込んでいるのだということを話すと、二十歳というのが信じられぬほど落ち着き払った雰囲気の息子が、アフリカの言語でもっとも複雑な発音はどういうものかという、これまたちょっと知的な質問をしてくれた。キリマンジャロをさて措くならば、と前置きをして、専門用語で「吸着音(click)」と呼ばれるところの「舌打ち」の音の多様性について話をした。唇で出す音、歯の裏のところで出す音、歯茎のところで出す音、上顎の硬いところで出す音、それからこれがむずかしいのだけど舌の側面を吸着させて出す音...、と言って説明したところで、「これのこと?」といとも簡単に発音してしまうではないか。豆鉄砲を喰らった鳩よろしくぽかんとしていると、トルコ語の会話でclickがいかに「慣用的に」用いられるかを整然と説明してくれる(後に知ったことだが,音素としてではないclickの使用がトルコ語で見られることは、古くはダーウィンがその著作のなかで指摘しているようである。cf. Gil(2013))。質問に答えるというよりはむしろ教えてもらった私が、この知的な親子に対して何かを提供できたのかは心許ないが、翌朝、居室の窓に現れた二羽の鳥の来訪を伝えると大層喜んでくれた。鳩ならぬSilvery-cheeked hornbill(ギンガオサイチョウ)。長年の居候である私の寝床は屋根裏で、その窓をノック、いや突き破らんばかりに衝突するのが彼らの朝の習慣である。

参考資料

Gil, David. 2013. Para-linguistic usages of clicks. In Dryer, Matthew S. and Martin Haspelmath (eds.) The World Atlas of Language Structures Online. Leipzig: Max Planck Institute for Evolutionary Anthropology. Online: https://wals.info/chapter/142

撮影フィールド

タンザニア・キリマンジャロ州

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