
世界のフィールドから
From "Fields" around the World
2025年6月号
今日もまた、同じ場所で
伊藤瑠星 (京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)
専門:人類学、フィールド:マリ(バマコ)、セネガル
バマコに「Marché N’golonina」と呼ばれる市場がある。観光ガイドでは「お土産探しにぴったり」と紹介されているが、不安定な情勢のため、外国人はおろか、実際には訪れる人も少なく、今は地元の職人たちの作業場として静かに続いている場所だ。その市場の奥、土壁の建物の影に、タマシェクの鍛冶屋たちのアトリエがいくつもある。私がそこに通うようになったのは、2023年の6月。最初はアトリエにいても、少し距離を置いて、金属を打つ音や、皮をなめす匂いだけを感じていた。しばらくすると、親方が「座ったらどうだ」と手で合図をくれた。それから、私は毎日のように、アトリエの片隅に腰を下ろすようになった。
朝から晩まで、作業は黙々と続く。道具を手渡し、火を起こし、木箱に皮を巻く。会話は少ないが、手の動きと道具の音だけで、場が不思議と満ちていた。昼になると、近くの飯屋から運ばれた銀皿に入った日替わりのご飯が新聞紙の上に広げられる。皆が手を伸ばし、冗談を交わしながら口に運ぶ。私も、いつの間にかその輪の中にいた。
ある日、親方がご飯を多めにすくい、こちらへ寄せてくれた。「キャラバンでは分かち合いが大事だからな。」その一言が、私をこの場所に迎え入れてくれたように思えた。
夕方、作業がひと段落すると、作業用の炭で沸かした甘さ控えめの熱いチャイ、「Thé Achoura」1) がまわり始める。それを少し欠けたグラスで受け取り、ゆっくりと口に運んだ。
気づけば、誰も私を気に留める様子はなくなっていた。必要以上に話しかけるでもなく、遠ざけるでもなく。その距離感が、私には心地よかった。
日が傾きはじめたころ、親方が「明日も来るんだろ?」とだけ言った。私は少し笑って、何も答えなかった。でも、明日もまたここに来ることは、もう自分の中で決まっている気がしていた。鍛冶屋たちの静かな手つきと、火と皮の匂いを思い浮かべながら。
- ^ 「Thé Achoura」:トゥアレグ出身の実業家 Houma Ag 氏が手がけるお茶ブランド。セネガルなど西アフリカの都市部で広く親しまれており、日常のチャイやもてなしの場に欠かせない定番の味。
撮影フィールド
マリ共和国・バマコ