フィールドワーカーから寄せられた地域別の現地情報です(2010-2015年頃)
カムチャツカ地方
1.外務省ホームページ 各国・地域情勢
2.旅行情報(空港、ホテル、換金/TC、治安など)
移動手段
日本からカムチャツカへの定期便はない。ハバロフスクかウラジオストックを経由となる。
両都市からカムチャツカ(ペトロパブロフスク・カムチャツキー(エリゾボ空港))まで約3時間。ハバロフスクからはダリアビア航空、プルコボ航空、ウラジオストックからはウラジオストック航空が定期便を飛ばしているが、毎日ではない。
夏に日本からのチャーター便が就航されるときがある。以前、アラスカからの直行便があった。(未確認情報)空港の滑走路が改修され国際便のための基準に満たされ、外国からの直行便が来れるようになったとか(2008年人づての情報)。レンタカー屋もできたとかいう噂を聞いた(2007年人づて情報)
現地での移動手段
ペトロパブロフスク市内、カムチャツカ州の地方各地へバス路線がある。空港からペトロパブロフスクまでもバスで移動できる。
換金
銀行で両替できる。
市場などで、(闇?)両替ができる。銀行よりレートがよい。
クレジットカードのキャッシュディスペンサーでルーブルが引き出せる。
3.医療情報
4.通信環境
日本で販売されている国際対応携帯電話が使える
5.ビザ、調査許可
6.カウンターパート、来日経験のある研究者
- ロシア科学アカデミー 火山地震研究所
http://www.kscnet.ru/ivs/index.html
7.大学図書館、アーカイブス、本屋
8.機材・資料の持ち出し、持ち込み
機材の持ち込み(2006年氷河観測)
観測に必要な氷河掘削機システム、山でのキャンプ設営関連装備(テントなど)、個人装備(防寒靴、寝袋、防寒服など)を船便で輸送した。船便は横浜港から出国し釜山経由でロシアのボストーチニ港へ送られた。ボストーチニで仮通関を速やかにすませた後、カムチャツカのペトロパブロフスク・カムチャツキーで本通関をする予定だったが、ボストーチニでの仮通関に約1ヶ月半かかった。
ペトロパブロフスクでの通関は、我々が到着してから手続きが開始された。日本から送るときのインボイスとパッキングリストは、梱包した箱毎にその内容、価値、重量などが記入されたものを必要とされるが、ペトロパブロフスクでは、一次輸入物資、輸入物資、個人所有物とういカテゴリー分けをして通関することになった。一次輸入物質として、掘削機システムや発電機を通関させた。輸入物資としては蛍光灯、ハンドドリルなどを通関させた。これらは比較的スムーズに通関できた。個人所有物の通関がうまくいかなかった。その理由は、ロシアに入国するときに、別荘品があることを記す書類を提出しスタンプをもらう必要があったのだが、ハバロフスクでの入国時に、係員が相手にしてくれず、スタンプをもらえなかったことが一番の原因だった。
試料の持ち出し(2006年氷河観測)
氷河から採取された氷試料を日本に輸送した。ロシアから持ち出し制限物品に氷試料が該当しないとの判断で通関は比較的スムーズに行われたと聞いている。ペトロパブロフスクから釜山経由で大阪港から輸入された。
9.調査グッズの現地調達
木材、ベニヤ板、金属製の資材などは容易に入手が可能。食材も充実しており日本食(醤油、わさび、うどん、米酢)も購入可能。
燃料
日本から持ち込んだ発電機に必要な燃料は、ロシアでのハイオクガソリン(オクタン価96)が利用できた。暖房に使った灯油は一般的ではないが購入できた。
家庭用のカセットコンロが普及しており、それ用のブタンガスは容易に購入できた。アウトドアショップではキャンプ用のガスストーブ用ガスカートリッジが売られていた。
10.日本人研究者情報/これまでの調査、科研
- ウシュコフスキー氷河調査(1996-2001):北海道大学低温科学研究所
- イチンスキー氷河掘削(2006):総合地球環境学研究所・アムールオホーツクプロジェクト
- エアロゾル採取(2005-2006):総合地球環境学研究所・アムールオホーツクプロジェクト
11.そのほか、各地域情報など
歴史的背景
カムチャツカの先住民族はイテリメン人、エヴェン人、コリャーク人、アレウート人、チュクチ人、アイヌ人などといわれている。16世紀以降、ロシア人による極東探検が始まり、カムチャツカへもアプローチが試みられる。1740年、ベーリングとチリコフが率いた探検隊は、カムチャツカ南部太平洋側のアバチャ湾に入りキャンプを設営した。このとき使われた2隻の船の名前、ピョートル号とパーベル号の名前から、現在の州都ペトロパブロフスク・カムチャツキーが名づけられた。
第二次大戦後、カムチャツカは軍事地域として閉鎖されたが、1990年以降開放された。2007年7月に、カムチャツカ州とコリャーク自治管区が合併され、カムチャツカ地方となった